三菱GTO


1990年に発売された三菱の4WD・4人乗りスポーツカー

【GTO 時系列の記録】

1990年
10月25日、4人で乗れて "半額のNSX" としてかつての名車に冠されていた「GTO」が再登場
仕様:V6ターボ280馬力/V6自然吸気(NA)225馬力 の2タイプ 3000cc 4WD
フェラーリテスタロッサのサイドエアインテークを真似たタイヤ・クーラーをデザイン
「しかも穴が空いてないし」とスポーツカーファンの冷笑を浴びた
1993年
秋、モデルチェンジ。リトラクタブルヘッドランプが丸目2灯×2に替わる
AT車370万円。タイヤクーラーのデザインがフェラーリF50に似たものに変更された
初期型ではフロント・リアのバンパーに黒塗りの部品がありデザインを損ねていた
このモデルチェンジでボディカラーに統一されて、デザインがすっきりした
同様の変更はMR-Sの初期型、後期型でもあった。初めはフェラーリを意識してデザインしたが、やはり似合わないということで修正するのだろう
1994年
3月、通産省制作「太陽の日」PR映画「ウルトラセブン太陽エネルギー作戦」で1993年秋モデルのGTOシルバーがウルトラ警備隊車両TDF PO3として使われる
参考文献 
ウルトラマン白書第4版」朝日ソノラマ 1995年
1995年8月
マイナーチェンジ V6自然吸気(NA)モデルを「SR」に変更
リアスポイラーがドーム型の丸みを帯びた形状に変わった
1996年8月のカタログには「GTO’97モデル誕生」と書かれている
1998年
秋、2度めのモデルチェンジ。フロント、リアスポイラー形状変更
このモデルは戦闘的で衝撃的なスタイル。ただほとんど売れていないため注目されなかった
2000年
販売終了
2019年
CAR-NELからGTO 1993年式のミニカーが発売された

写真は「名車コレクション」
このミニカーにはドアミラーがついている

トピックス
欧米では「MITSUBISHI3000GT」の名前で販売された。 スポーツカーの中でもスタイリングは抜群。デザインのリア処理も巧かった。しかしカーマニアからは重く遅い車として軽蔑され、特に徳大寺有恒は”フェラーリのパロディ”と「間違いだらけの車選び」で非難し続けたが、スタイルのよさだけは認めていた
重たい車体を無理やり引きずるようなターボ車の加速は語りぐさとなっているが、NA車では驚くような加速感はなかった

GTOに乗っていた、乗っている著名人
下柳〜NPB選手。当時福岡ダイエーホークス 浄水通で事故を起こした写真が新聞に掲載された
水内猛〜元・三菱自動車所属のサッカー選手

GTOのパトカーが製造されていた
1991年、三重県の東名阪自動車道で見た

フロントガラスがきしむ、ステアリングを切ると異音がする、雨の日は左側リアシートに水が下から浸み出てくる、トランク下から異音がする・・と数多くの不良箇所があったが、ディーラーはいつも無料修理で対応してくれた
「他から同じクレーム上がってきてないの?」
と尋ねるといつも「ありません」の返事だったが、後年発覚したクレーム隠しの時期に重なっており仕方ないことだった

1993年秋のモデルチェンジ以降は、ほとんど売れなかったため希少価値が出て、街を走っていると「おっなんだ?この車」という注目を浴び、特にクルマに詳しくない人からの評価は高かった

車の重さ、低く幅の広いボディ、トラックのようなタイヤで150km/hで走っても振動がなかった
手許のスイッチで加速でき、アクセルを踏まなくてもクルマが走る「オートクルーズコントロール」はほとんどクルマが走っていない地方の高速道路以外では、使う場面がなかった
グラストップを外すとセミオープンカーのようになる。リアトランクには外したガラスを固定する機具もあった。しかし取り外し作業には最低大人二人が必要なため、結局一度も外さなかった
左前のバンパーの距離感がつかみにくい。オプションのコーナーセンサーは車庫入れ時に重宝した
後部スポイラーはボディとは材質が違うため、3年ほどで日焼けして色落ちしてしまった

NSXS2000MR-SMR2AE86

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