1980年代、端末という名のクライアントが企業に入り始めた頃、IBM製の表計算ソフト「マルチプラン」が入っていたが、あまり使われていなかった
1980年代終わりがけにコンピューターに関心が高い人の間で「Lotus1−2−3というのがスゴイらしい」という噂が広まり、1990年代に入ってノートパソコンが売れ始めた頃、ほとんどのMS−DOSパソコンユーザーは、ワープロは一太郎、表計算はLotus1−2−3を入れていた。ただし当時123は98,000円もして大量には売れていなかった。その10分の1の価格で「アシスト」という外国人が経営する会社が表計算ソフトを出し、そこそこには売れたが主流にはならなかった
1 2 3 と順番に数字が立ち上がる初期画面は、メモリーを増設したり、買い換えたりしてパソコンのスペックが上がると、スピードが速くなったのを実感できた
123のマクロ機能は、VBと違いユーザーにわかりやすい構文を使って、今でいうASPのような本格的なシステムを作ることができた
1995年末、Windows95が登場し、マイクロソフトがデファクトとなり、表計算ソフトの勢力地図は一気にエクセルに塗り変わった
エクセルはエクセル97まで、123マクロをサポートしていて、123ユーザーはマクロ資産をそのままエクセルで使うことができた。コアな123ユーザーがある日突然エクセルに乗り換えることができたのはこのためである
しかし、マイクロソフトはエクセル97→2000へのバージョンアップ時に123マクロを動かないようにした
→Lotus1−2−3からエクセルへの乗り換え
Tweet