徳島県のジャストシステムが製造販売するパソコン向けワープロ(文書作成)ソフト
■かな漢字変換は「ATOK」を利用
1980年代半ばから業務用にオフィス向けワープロが売れ始め、その後ワープロ専用機が主流となった。1990年にパソコンが普及し始めたとき、ほとんどのパソコンで、ワープロは一太郎、表計算は「Lotus1−2−3」が使われていた。ただしソフト価格が高く、パソコンに30万円からの投資をしたユーザーの大半はソフト代にお金がまわらず、違法コピーが多く見られた
【一太郎の歴史】
- 1990年代初頭
- パソコンのメモリーは標準で640KB(キロバイト)。一太郎はVer.3までは快適に動作していた
- 1993年
- 4月、「一太郎Ver.5」発売。Ver.4でも充分重かった機能がさらに重くなり、当時640kbのメモリーで動いていたほとんどのパソコンは動きが鈍くなった。これが古くからの「一太郎」ユーザーの心が離れるきっかけとなった
- 1995年
- 11月、マイクロソフトのウィンドウズ95が出て、本格的なパソコンブームが到来したが、ほとんどのユーザーはワープロソフトとしては、エクセルを使うために買った「マイクロソフトオフィス」についてくるワードを使った。ATOKの変換に慣れていて登録辞書の資産を引き継ぎたいユーザーはATOKを単品で買い、かな漢字変換辞書だけATOKを使った。こうして、一太郎のシェアは下降線をたどり始める。ウィンドウズ95発売のタイミングで各社にプレインストールの商談をもちかけるという先見の明があれば、10年たっても一向に使えないワードにシェアを奪われることはなかっただろう
- 1996年
- 9月、「一太郎7」(Windows95対応)発売。これもパソコン全体を遅くしてしまう重さで、なぜかわずか5ヶ月で「8」へと、バージョン・アップされた。一太郎7以降の製品に搭載されたバルーン・ヘルプ機能は後に松下電器から特許を侵害しているとして告訴された
- 2005年
- 2月、バルーン・ヘルプ機能の案件で東京地裁(第一審)から販売停止命令を受け控訴。結果的に販売停止命令は解除された