チェルシーの歴史
1877年
スタンフォードブリッジ
がオープン
1905年
創設
1954−55
プレミアシップ初優勝
2000-01
シーズンオフ、ウェストハムからフランク・ランパード(国籍:英国)が移籍入団
2002-03
7月、ロマン・アブラモビッチ が266億円でクラブを買収して、経営者となる
シーズンオフ、ウエストハムからジョー・コール(国籍:英国)が移籍入団
2003-04
プレミアリーグ
で2位
UEFA CL
ベスト4
シーズンオフ
FCポルト
監督の
ホセ・モウリーニョ
が監督就任。FCポルトから リカルド・カルバーリョ、パウロ・フェレイラ(共にポルトガル代表として2006W杯に出場)が移籍入団。同じくFCポルトの
デコ
とも契約交渉が進んでいたが、デコは憧れのチーム、
FCバルセロナ
を選択した
マルセイユからディディエ・ドログバ(国籍:コートジボワール)が移籍入団。
2004-05
CL
は決勝トーナメントベスト16でFCバルセロナに勝利。準決勝で
リバプール
に敗れた
50シーズンぶり2度めの
プレミアリーグ
優勝。シーズン15失点はプレミアリーグ記録(それまでは1978−79リバプールの16)
シーズンオフ、クレスポ(国籍:アルゼンチン)が移籍入団
巨額の投資で一流選手を獲得することにして、揶揄の書き込みをする日本人が多い。オーナーは日本のブログ・ライターに「油モビッチ」と書かれることがある
手腕が確かなモウリーニョを監督に据えていることで、チーム作りのバランスがよい。フォワードの人気選手ばかり獲得するクラブではない
2005-06
CL
は決勝トーナメントベスト16で
FCバルセロナ
に敗れる
プレミア・リーグ2連覇
シーズンオフに
ACミラン
から
アンドリー・シェフチェンコ
(国籍:ウクライナ)が移籍入団
5月、
W杯2006
の選手登録では、クラブチーム最多の12人が選ばれた
完全な外国人チームの
アーセナル
とは一線を画し、ランパード、コールの英国人をクラブの主軸に据えている
G−18
には加入していない
2006-07
CLA組バルセロナに1勝1分で決勝トーナメントへ進む。準決勝で
リバプール
に敗れる
プレミアリーグ2位
FAカップ
優勝
2007-08
9月20日、
ホセ・モウリーニョ
監督を解任 グラント監督就任
10月、テン・カーテ(当時
アヤックス
監督)がアシスタント・コーチに就任
5月11日、プレミア・リーグ勝ち点85点
マンチェスター・ユナイテッド
と2点差で2位に終わる
5月21日、CL決勝で
マンU
に敗れる。
延長後半ドログバが不要なびんたをはって退場。PK戦5番手、決めれば勝ちだったが、ドログバ不在でお鉢が回ってきたテリーが外した。
グラント監督、テン・カーテコーチを解任。
6月11日、
ルイス・フェリペ・スコラーリ
監督就任を発表
2008-09
7月1日、
FCバルセロナ
から
デコ
(MF
ポルトガル代表
)が移籍入団。
2008-09
1月、
ルイス・フェリペ・スコラーリ
監督を解任。
フース・ヒディンク
が就任
5月、CL準決勝で敗退。プレミアリーグ3位
FAカップ
優勝
→
2008-09シーズン詳細
2009-10
UEFA CL
ベスト16で、このシーズン優勝したインテルに敗れる
プレミアリーグ優勝
FAカップ
2連覇
→
2009-10シーズン詳細
2011-12
5月20日、バイエルンを破り
UEFA CL
初優勝
2012-13
12月、
CWC
2012で初来日
12月16日
第8回クラブワールドカップ2012
決勝でコリンチャンスに敗れる
→
ファビオ・カリーレ
2013-14
ホセ・モウリーニョ
が監督就任(チェルシーでは2度め)
プレミアリーグ
3位
UEFA CL
はセミファイナルで
アトレティコ・マドリー
に敗れた。
6月、フランク・ランパードが退団
2015-16
横浜ゴムが胸スポンサーとなる(5年契約)
2月、
ホセ・モウリーニョ
を解任
2016-17
アディダス
とのユニフォームサプライヤー契約最終年
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初出2008年7月
最終更新
2016/5/17