ヨハン・クライフ

最終更新 2008/6/23
Hendrik Johannes Cruijff(Johan Cruyff) 1970年代に活躍したオランダ人サッカー選手。バロンドールを3度受賞(1971、1973、1974)。監督として1990年代のバルサ黄金時代を築いた

【略歴】

1947年
4月25日、オランダ・アムステルダム生まれ
1962年
アヤックスエールディビジ)とプロ契約
1964−65
11月、エールディビジ出場
1966−67
9月、オランダ代表デビュー
オランダリーグ得点王(
1971−72
バロンドール受賞
このシーズンからチャンピオンズカップ3連覇
1973−74
このシーズンからリーガで外国人選手獲得が解禁され、バルサに移籍
10月28日グラナダ戦(カンプノウ)で初出場 リーガ優勝。2度目のバロンドール受賞。 このシーズンから1977−78まで5シーズンバルサに在籍
W杯オランダ代表。後のプレッシングサッカーの原型となるトータルフットボールを展開した
W杯出場。オランダは準優勝。「W杯は一度で十分」と代表引退。1978年大会には出場しなかった。
参考文献 
「サッカーという名の神様」近藤篤 NHK出版 2006年3月
1974−75
3度目のバロンドール受賞
1978−79
アヤックス、ロサンゼルス・アステックス、ワシントン・ディプロマッツに転々と移籍
1980−81
3月、レバンテに移籍
1981−82
11月、選手兼テクニカルアドバイザーの肩書きでアヤックスに復帰
1983−84
フェイエノールト移籍 エールディビジ優勝、このシーズンで現役引退
1985−86
アヤックスのテクニカル・ディレクターに就任。この時アヤックスにフランク・ライカールトがいた。3シーズン在籍し最後は監督を務める
1988−89
FCバルセロナ監督就任1年め。以後8シーズン指揮を執る
1990−91
このシーズンからリーガ4連覇
バルサの歴史
1992−93
チャンピオンズカップ制覇 FCバルセロナにとっての初制覇
1995-96
5月、リーガシーズン終盤までアトレティコ・マドリーと優勝争いをしたが、ヌニェス会長からバルサ監督を解任される
1999年
12月、金子達仁がクライフ50歳を記念して出版された「ヨハン・クライフ美しく勝利せよ」を監訳し二見書房から出版
2007-08
2月、テクニカル・ディレクターでアヤックス復帰
5月、3か月で辞任。
「サッカーはテクニック、戦術(洞察力)、スタミナという3つの要素で成り立っている」が持論
論評では一人一人の選手名を挙げて個々に意見を述べるのがクライフ流。デコについては手放しで絶賛している。FCバルセロナラポルタ会長に対して影響力が強い

かつてデコにを評して「デコこそサッカーだ」と賛辞を送った。デコは自分を評したフレーズの中で、最もこれがいいと語っていた



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世界の平和実現 Copyrightしらべる 今日の更新 初出2005年6月