フランク・ライカールト

最終更新 2009/6/7
Frank Rijkaard
1980年代後半、ルート・フリット、マルコ・ファンバステンらとサッカーオランダ代表の第二期黄金時代を築いた名選手
DFまたは守備的MF
2003-04シーズンから2007-08シーズンまでFCバルセロナ監督を務めた

【略歴】

1962年
9月30日、オランダアムステルダム生まれ
1980年
アヤックス(エールディビジ)と契約
1981年
9月、オランダ代表デビュー
1985−86
アヤックスのテクニカル・ディレクターにクライフが就任
ユーロ1988で優勝
1988−89
レアル・サラゴサ(リーガ
ACミラン(セリエA)
1993−94
アヤックス
最後のW杯出場 ユニフォームナンバー3
1994-95
このシーズンを最後に現役引退
1999−2000
ユーロ2000、地元オランダ開催でオランダ代表を指揮。準決勝イタリアPK戦で敗れる
オランダ代表監督の後はエールディビジ スパルタの監督を経てFCバルセロナ
2003-04
FCバルセロナ監督
4年契約、1年め
当初は4−2−3−1、途中から4−3−3に変更
第19節から35節まで17戦無敗。02−03シーズンの6位から2位へ引き上げる。
2004-05
リーガ優勝
6月、FCBarcelona on tour Japan2005で来日。少年サッカー教室では予定を変更して選手を休ませ自ら指導。サインを求めるファンには選手に替わって一人一人見映えがよく時間のかかるフルサインをしてくれた。クールな言動、立場を理解した行動、優秀なサッカー指導者である以前に希有な賢人。
2005-06
9月、2008-09シーズンまで契約2年延長
5月、リーガ二連覇 監督としてCL初優勝
2006-07
1月、IFFHS(フットボール歴史統計国際連盟)の2006年度最優秀監督賞に選ばれる
2007-08
11月27日、CL5節リヨン戦。ボージャンが悪質なファウルを受けたことに抗議して、退席処分となる。監督としては初めての退場。6節シュツットガルト戦はベンチ入り禁止
UEFA CLリーガ共に優勝できず、シーズン終了後解任された
2009-10
トルコリーグ ガラタサライ監督1年め
クライフは「ヨハン・クライフ美しく勝利せよ」で「ライカールトはサッカー史上最高の守備的MFの1人」と述べている



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