西郷隆盛が起こした 明治維新期最後の内戦。幕末の終わりと明治の始まりを告げた
■西南の役→西南戦争
昭和40年代に西南戦争と言い換えられている
■西郷隆盛が薩摩軍を従えて、明治政府軍は初めて徴兵制により兵を招集して戦った
■戦闘地域:現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県
■この戦いで熊本城の天守が焼失。現在の熊本城の天守は1960年に再建された
【時系列の記録】
- 1867年
- 明治政府が王政復古の大号令を発した
- 1876年8月
- 鹿児島の反政府勢力を分断する目的で、政府が宮崎県を鹿児島県に併合。
- 1877年(明治10年)2月15日
- 薩摩軍が進撃を開始。ここから、後に「西南の役」と呼ばれる内戦が始まった
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- 熊本城にこもった「熊本鎮台」の政府軍が西郷隆盛を追い詰めた
- 9月24日
- 西郷隆盛 自刃 享年51歳 薩摩軍、城山にて全滅
- 1883年5月9日
- 鹿児島は分県に反対していたが、政府方針により宮崎県が独立
*参考文献「日本全国県境の謎」浅井 建爾 実業之日本社 2007年9月30日初刷
→なぜ、鹿児島の人は熊本を嫌うのか
→西南学院大学