京都で市聖と呼ばれた平安時代、天台宗の僧侶
2022年3月1日〜5月8日
東京上野で特別展 空也上人と六波羅蜜寺開催
それまで死霊を鎮めるものだった念仏を、自らの魂を浄土に安住させるための念仏へと、価値観を変えた
*参考文献「浄土の聖者空也」伊藤 唯真 2004年
概要
■いつも念仏を唱えて町を周り、人々を助けていたので市聖と呼ばれていた
■西光寺(後に六波羅蜜寺と改名)を創建した
4つの空也上人立像
空也が南無阿弥陀仏を唱えると、その六字名号が阿弥陀如来の化仏となったという伝説に基づく立像が複数ある
【1】京都 六波羅蜜寺 没後250年経った鎌倉時代に作られた
歴史の教科書に載っている像。空也上人像といえば、この像を思い浮かべる人が大半
2011年にレプリカが販売された
→六波羅蜜寺の空也上人立像
【2】京都 月輪寺 鎌倉時代の作とされる。眼光が鋭いのが特徴
→月輪寺の空也上人立像
【3】愛媛県松山市 浄土寺 鎌倉時代の作と紹介されている。老齢の空也像
→浄土寺の空也上人立像
【4】鳥取県琴浦町 転法輪寺
当地では、971年に空也が立ち寄り、この地で入定(死亡)したと伝えている
口から化仏が出ておらず、他の立像とは趣が違う。2体あり、1体は入定の姿を表す
空也関連年表
- 903年
- 「空也上人誄」に、70歳で入滅とあることから、この年に生まれたと推定されている
- 927年
- 出家 空也という沙弥名を自称する
- 938年
- 京都で念仏を唱え始める。市聖と呼ばれるようになる
- 951年
- 十一面観音を彫る
- 972年
- 9月11日、京都 西光寺で没する
- 源為憲が空也生涯の記録「空也上人誄」を記す
- 1279年
- 一遍上人が踊躍念仏を始める。当時の書物「一遍聖絵」に「そもそも踊り念仏は空也上人、あるいは市屋、あるいは四条の辻にて始行給けり」と記されている
- 1200年頃 鎌倉時代初期
- 六波羅蜜寺の空也上人立像が作られる
- 2011年12月
- 空也上人立像のレプリカが発売された
- 2022年3月
- 特別展 空也上人と六波羅蜜寺開催 半世紀ぶりに京都六波羅蜜寺の空也上人立像が東京で展示された
- 展示会場限定で六波羅蜜寺公認 空也上人立像を販売
空也の読み
■一般的に「くうや」と呼ばれている
■堀一郎は「空也」〜1968年初刷〜 の冒頭で「空也はふつうクウヤと呼ばれているが、コウヤが正しい。」と記している
■石井義長は「空也」〜2009年初刷〜で、「くうや」の読みが正しい根拠を記している
トピックス
■空也には多額の寄進が寄せられ、空也はそれを財源にして全国に道路、橋、井戸をつくった
■空也が掘った井戸が今も全国に残っている
⇒下関市水道サービス公社のウェブページ
ブログ目次
- 2019/10/12
- 空也上人立像(第1話)
- 2019/10/13
- 空也上人立像(第2話)
- 2019/10/17
- 空也上人立像(最終話)
空也の関連記事
■空也の本
■空也上人立像
■六波羅蜜寺の空也上人立像
■空也上人立像スタチュー
■月輪寺の空也上人立像
■愛媛県浄土寺の空也上人立像