島秀雄


東海道新幹線開発のプロジェクトリーダーを務めた技術者

島秀雄年表

1901年5月20日
大阪生まれ
父・島安二郎も広軌新幹線の開発に取り組んだ国鉄職員だった
1925年 大正14年
東京大学卒業 国鉄入省
東大出の人たち
1928年
27歳の時、妻豊子と結婚
1931年
次男 隆が生まれる。島隆は国鉄に入省して新幹線の「IS台車」を開発した
1951年 昭和26年
50歳で国鉄を辞職
1955年 昭和30年
国鉄総裁 十河信二に請われて国鉄に復帰。広軌新幹線の開発を任される
1963年
十河信二が総裁に再任されなかったため、国鉄を辞職
1964年10月1日
東京五輪開幕10日前、東海道新幹線開業 開業式には招待されなかった。テープカットは十河信二の後任総裁で「粗にして野だが卑ではない」という言葉で有名な石田禮助が行った。
新幹線の歴史
1998年3月18日
満96歳で逝去
2000年5月1日
「新幹線をつくった男 島秀雄物語」が出版される。 高橋団吉著 小学館
取材前に島秀雄が亡くなり、直接取材はできなかった
2014年
10月1日、新幹線開業50年
10月25日、NHKで島秀雄と妻を描いたドラマ「妻たちの新幹線」が放送された。島秀雄は中村雅俊、十河信二は伊東四朗が演じた
新幹線講座
*参考文献「新幹線をつくった男 島秀雄物語」高橋団吉 小学館

2005年から毎日1話ブログ「しらべるが行く」

世界平和を実現 Copyrightしらべる 今日の更新 初出2014年11月 最終更新 2015/9/29