よど号事件
1970年3月31日に起きた国内初のハイジャック事件
【時系列の記録】
- 1970年
- 3月27日、決行メンバーが飛行機の乗り方に不慣れだったため揃わず、実行を断念
3月31日、羽田発福岡行き日航機「よど号」が赤軍派9人に乗っ取られる。乗客の中に日野原重明がいた
よど号は福岡県の板付空港に着陸
犯人の要求は平壌だったが、よど号は福岡からソウルへ
ソウルで山村真治郎運輸政務次官が身代わりとなり乗客を解放
よど号はソウルから平壌へ
犯人グループは北朝鮮に亡命した。 - 1988年5月6日
- 犯行グループ最年少 柴田泰弘が、兵庫県神戸市に潜伏しているところを逮捕された。(1996年に服役を終えた)
- 1992年4月13日
- 事件の際、身代わり人質となった山村真治郎が死去
- 1995年11月30日
- 犯行グループのリーダー 田宮高麿死去
- 1996年3月
- 犯行グループの一人、田中義三がカンボジアで逮捕(米ドル偽造容疑)
- 1998年8月
- 「宿命」高沢皓司 新潮社 発表
犯行グループのインタビュー、取材を元にしたドキュメンタリー
- 2000年6月28日
- 田中義三が帰国、逮捕
- 2000年10月
- 北朝鮮は米国から受けている「テロ支援国家」指定解除を目指すため、犯人の国外退去の用意があることを表明
- 2001年5月16日
- 田中義三・小西隆裕・田宮高麿(故人)の娘3人が帰国
- 2003年4月30日
- 田中義三、2審も懲役12年判決
→日本赤軍