ユーゴスラビアから分離独立した東欧の国
■日本との時差 8時間 サマータイム期間は7時間
■人口:450万人(2008年)
■面積:5万平方km 国土は日本の0.13倍
■クロアチア、セルビア、モンテネグロと接する
イタリアの長靴の東、アドリア海の東岸にほど近いが、海岸線は10kmのみ
■宗教:カトリック、セルビア正教、イスラム
■公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
■通貨:コンベルティビルナ・マルカ
■首都:サラエボ
【ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史】
- 1984年
- サラエボで冬季五輪開催
- 1991年
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6月、ユーゴスラビアからスロベニア、クロアチアが独立宣言
9月、マケドニアが独立宣言
- 1992年
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3月、ボスニア・ヘルツェゴビナが、ユーゴスラビアからの独立を宣言
直後からクロアチア人、セルビア人による紛争が始まり、1995年まで続く。20万人が死亡した
- 1995年
- 12月14日、ディトン合意。ボスニア・ヘルツェゴビナは「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国からなる国家」と規定された
- 1998年
- 9月、日本を含む各国がPKOで国政・地方選挙を監視。その記録が「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国際平和協力業務記録写真集」として出版されている
この時点で、隣接国はクロアチアとユーゴスラビアだったが、ユーゴスラビアは2003年にセルビア・モンテネグロとなり、国名は消滅した
ユーゴスラビアは最終的にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの国となった。