アメリカが日本に落とした2発めの原子爆弾
1945年8月9日投下
■8月9日は「長崎平和の日」として長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われる
【長崎の原爆 時系列の記録】
- 1945年7月初旬
- 米軍が原爆投下目標都市を京都、広島、小倉、新潟とする
- その後、京都が外され長崎が入る
- 1945年8月2日
- 原爆投下都市決定 第一目標広島、第二目標小倉、第三目標長崎
- 8月6日
- 広島に原爆投下
- 8月9日
- 米国の作戦進行が遅れる。小倉は快晴だったが煙幕が焚かれていて、投下の前提条件である有視界が確保できず長崎に変更。長崎も曇っていて有視界確保できていなかったが、原爆をテニアン基地に持ち帰ることは基地が危険。海に捨てるよりはどこかに落とそうという判断が下される。
- 10時58分、プルトニウム爆弾「ファットマン」投下
- 11時 2分、上空500mで炸裂
- 参考文献「精霊流し」さだまさし 幻冬舎 2001年9月10日刊
2005年
被爆者の平均年齢は73歳になった
2007年7月
長崎出身の久間防衛大臣が「あの原爆で区切りがついた。しかたがないことだった」という趣旨の発言を咎められ自ら辞任
長崎県の議員だからこそ言える本音として気持ちは分かるが、参議院選挙前にそれを言う気が知れなかった。発言が原因となり長崎選挙区(定数一人)では自らが担いだ候補者が敗れ、自民党が参議院選挙で大敗する一因となった。
2009年10月11日
長崎市は広島市と共催で、2020年夏季五輪に立候補することを発表した。後に共催は認められないとしてJOCに却下されて取り下げた
2010年
8月5日、国連事務総長が長崎を初訪問。長崎原爆資料館を視察し、原爆落下中心地碑で献花した。
8月9日、原爆投下から65年 平和式典にIAEA代表が初めて参列。米国は今年も参列しなかった。原爆による死亡者名簿の記載者152,276人となった
2015年
原爆投下から70年
2020年
原爆投下から75年
被爆75周年記念事業長崎平和マラソンが11月に開催予定だったが新型コロナウイルス感染症の影響で延期になった
→ど素人!コロナ講座
2023年8月8日
長崎市が「11時2分投下」表記を「11時2分炸裂」に統一した
2023年8月9日
平和祈念式典は台風6号の影響により出島メッセで(60年ぶりの)屋内開催
被爆者の平均年齢は85歳を超えた
書籍「長崎よみがえる原爆写真」NHK取材班 に被災当時の写真が掲載されている。世界で唯一被爆した国に生まれたことを実感する
2010年8月撮影
*参考文献
「長崎よみがえる原爆写真」NHK取材班 NHK出版 1995年8月30日
「原爆投下は予告されていた」古川 愛哲 講談社 2011年7月
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