日蘭交流
最終更新 2010/6/19
日本とオランダ国交の歴史
- 1598年
- オランダのロッテルダムをエラスムス号など5艇の帆船が出航。途中、4隻は引き返したり行方不明となるがエラスムス号改めデ・リーフデ号だけが積み荷の毛織物の貿易のため日本を目指した
- 1600年
- 4月19日、デ・リーフデ号に乗ってウィリアム・アダムス(後に三浦按針)が大分県の臼杵湾に漂着
- 1609年
- 7月25日、朱印状(通商許可証)が発行される。同年、平戸にオランダ商館が開設される。徳川家康は商館を浦賀に置くことを希望したが、初代館長ジャックス・スペックスが平戸港を気に入っていたため平戸に置かれた。この史実が長崎とオランダの交流、オランダ村・ハウステンボスの建設というストーリーにつながっている
- 1641年
- 鎖国のため商館が平戸から出島に移る、幕府は交易相手を清国とオランダに限定
- 1843年
- オランダ国王が徳川家慶に鎖国の危険性を説く書簡を送る
- 1858年
- 修好通商条約締結
- 1859年
- 出島の商館閉鎖
- 2000年
- 日蘭国交400周年。長崎市〜平戸市の国道が「オランダロード」として整備される
- 2009年
- 日蘭通商400周年
- 2010年
- 長崎県長崎市の出島復元が完成予定。
*参考文献〜「日本の中のオランダを歩く」河野實 渓流社
世界平和を実現
Copyrightしらべる 今日の更新 初出2001年5月