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北川正恭

最終更新 2013/6/9
【きたがわ まさやす】早稲田大学教授
三重県知事時代に首都機能の移転先三重畿央地域に引っ張り込む先鋒的な役割を果たす。
マニフェストということばを普及させた先駆者。
三重県知事退任後は、政治学者の立場からマニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす

1944年 昭和19年
三重県生まれ。
1967年
早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。
1972年
三重県議初当選。
1983年
衆議院議員初当選。
1990年
文部政務次官
1995年
三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月〜に詳しい。
2002年
90億円の補助金を出してシャープ亀山工場を誘致。従来3億円程度だった補助金を増額した。
2003年
2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料(RDF)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。
2004年
1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。

学校五日制」を最初に仕掛けたのは私だったと本人が語っている。ゆとり教育はやがて日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。
*参考文献「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
〜2004年1月記〜

田中康夫は著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。
(引用終わり)
2002年7月、田中康夫が長野県知事不信任決議を受けた後、北川正恭は田中康夫について「個人的なスタイルの政治家だから」とコメントした。

三重県知事当時、多項目に渡る県庁改革を進め、知事としては浅野史郎に次いで一目置かれた。ただ思考スタイルは旧態依然の政治家のもの。演説の途中、ここぞというところで扇動調に声が1オクターブ上がるのには怖さを覚える。
〜2004年1月記〜

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