小泉純一郎を巡る「あきらめ効果」を検証する
■田原総一朗
(以下引用)
約半年前までは、地方を回ると、どこでも「小泉首相の執政」「地方の中小企業を見殺しにする」「思い切った財政出動をせよ」という怒りの声が充満していた。だが、最近はあまり聞こえなくなった。小泉首相のあまりの頑固さにあきれて、自分たちでなんとか努力しなければならないと考える人が多くなったのだ。これは正解である。
(引用おわり)
参考文献
「小泉の日本を読む」65頁 朝日新聞社 2005年2月
あきらめるという言葉は後ろ向きな言葉である
あきらめさせた人は善か悪かというと悪に位置づけられる
「周囲は小泉をみていて、●●をあきらめた」という言葉は、一見、小泉=悪にとれる
では、この例ではどうだろう
「佐藤さんは、鈴木さんの意見を聞いて、殺人をあきらめた」
「佐藤さんが、鈴木さんの意見を聞いて、泥棒で一生食べていくのをあきらめた」
このように、あきらめさせたことが悪の場合、あきらめさせたことは善となる
小泉があきらめさせたものは何か?
それは他人の懐を当てにしたり、他人の成果に寄りかかったりして、自らの努力を放棄する「横着」という生き方である