中村修二
最終更新 2005/1/10
【なかむら しゅうじ】青色発光ダイオードの発明者
【中村修二略歴】
- 1954年
- 5月22日、愛媛県西宇和郡瀬戸町生まれ
- 1979年
- 徳島大学大学院修了
- 1979年
日亜化学工業(徳島県阿南市)入社
- 1993年
- 12月、世界初の青色発光ダイオード(LED)開発
- 1995年
- 緑色LED、白色LEDを開発
- 1999年
- 12月、日亜化学工業を退社
- 2000年
- 2月19日、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)工学部教授着任
- 2001年
- 8月23日、日亜化学工業を提訴。青色LED 特許の帰属の確認、開発報酬20億円を求める
- 2002年
- 9月、東京地裁、特許は日亜化学工業に帰属するという判断を示す
- 2004年
- 1月30日、東京地裁(第一審) 日亜化学工業に発明対価200億円の支払を命じる。日亜化学は即日控訴
- 2005年
- 1月11日、東京高裁 発明対価6億857万円、遅延損害金2億3534万円を日亜科学が支払うことで和解成立。
彼が開発したLEDは信号機・大型ディスプレイ・DVD書き込みから軍事ミサイル誘導技術まで幅広く応用される画期的な技術
LED信号機は見やすく寿命が長いのでコストが安い。しかし 信号機管理会社が官僚の天下り先となっているため従来の「電球が切れる信号機」が重用されてきた。2003年からは本格的にLED信号への切り替えが始まった
著書
■「考える力、やり抜く力 私の方法」三笠書房 2001年2月 〜青色ダイオードを一流大学でも一流企業でもない田舎の企業で開発したストーリー。「プロジェクトX」的な泥臭い話しを読むならこれが一番
■「怒りのブレイクスルー」集英社 2001年4月 〜「考える力〜」と重複が多く勧められない
■「赤の発見青の発見」白日社 2001年5月 〜世界的な半導体研究者 西澤潤一との共著。後半の対談は教育・科学の日本の問題点について素人にも楽しく読める
■「負けてたまるか!」朝日新聞社 2004年3月 〜裁判勝訴後に出版された。過去のダイジェスト的な内容。中村修二を初めて読む人はこれがベスト
世界平和を実現
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