人による評価の隔たりが大変大きい政治家
【略歴】
- 1942年
- 5月24日、岩手県生まれ
- 1967年
- 慶応大学経済学部卒
- 1969年
- 12月、衆議院議員初当選
- 1985年
- 自治大臣 国家公安委員長
- 1989年
- 自民党幹事長
- 1993年
- 6月、新生党を設立
著書「日本改造計画」発表
- 1998年
- 1月、自由党設立
- 1999年
- 1月、自民党〜当時小渕首相〜と自由党の自自連立政権が成立
- 2000年
- 4月1日、連立を解消。翌2日、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、5月に亡くなった
- 2001年
- 1月、小沢一郎政治塾を開設
- 2003年
- 9月、民主党に合流
12月、民主党代表代行
- 2006年
- 4月、民主党代表就任
- 2007年
- 11月、自民党との連立を企図。不成立の責任をとって辞意表明したが、数日で撤回
- 2009年
- 5月、3月に西松建設献金問題で秘書が逮捕され、総選挙に影響があるという理由で党首を辞任
9月、政権交代後、民主党幹事長に就任
- 2010年
- 1月、カンブリア宮殿に2度目の出演。村上龍は「最後の政治家」と評した
1月、政治資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反の嫌疑で、東京地検特捜部の任意事情聴取に応じた。その後、検察は不起訴処分とした
4月27日、検察審査会が起訴相当の議決
6月2日、幹事長辞任が公になった
9月14日、民主党首選挙で菅直人に敗れた。国会議員得票は管206対小沢200だった
- 2012年
- 4月26日「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反の嫌疑で、東京地方裁判所が無罪判決。
- 7月11日、民主党を離党して、新しい政党「国民の生活が第一」を設立した
"国連決議があれば戦闘行為もOK" という立法を企図したり、対談で政策を投げかけた養老孟司に「選挙があるうちはだめですな」と切り返したり、ものごとがわかってはいる政治家
ただし、現時点の日本では、上に立つ政治家は「生活本意」などと、心にもないことを言わねばならない
だが、あと数年もすれば、小沢のような政治家が本音で語ることができる社会の土壌ができるだろう
〜2007年11月記〜