財投の歴史

最終更新 2005/9/11
財政投融資の歴史

1872年(明治5年)
準備金制度が始まる。当初は国債引き受け限定の財源だったが、徐々に予算支出の範囲が広がっていった
1949年
初めての財政投融資対象機関「国民金融公庫」設立。特殊法人の先駆けとなった。以後、多数の財投対象機関が設立されていく
1952年
4月1日、大蔵省(現在は財務省)資金運用部が誕生。「資金運用部資金法」施行。運用対象を直接法律で明記するよう条文化されていたが具体性を欠き現実はざる条文だった
1953年
「財政投融資計画」の作成が始まる。ここから従来の総予算均衡主義が放棄(※1)され、あるだけ使い続ける今の体質がここに始まる。
1995年
3月、1994年度末の財投の資金残高は417兆円。すなわち過去からここまでに合計417兆円が特殊法人の事業などにつぎ込まれた
2001年
4月1日、財投改革が始まる
2008年
3月、財投債暫定措置期間 終了予定
戦後の政治家は当然、全員財投の存在を知っている。国家予算以外の裏帳簿であること、巨額の焦げ付きを起こしていることも知っている
だがこの10年でその資金源である郵政改革に言及した者はわずか。一方で「過疎地の郵便局がなくなる!おじいちゃん、おばあちゃんを切り捨てるのか?」と叫びながら、実は特殊法人特定郵便局の利益を守るために郵政改革に反対する者がいる

※1 税収が40兆円しかないので国家予算国債を30兆円発行して70兆円で組む。それでも使い足りないので財投という裏帳簿で50兆円使う〜ということが今も現実に行われている
つまり収入:40兆円、支出:120兆円

さて、不足した80兆円は誰が払うのだろうか?




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