かつて炭坑集落だった、長崎県長崎市の沖に浮かぶ無人島
正式名称は端島
北西から見た外観が軍艦に似ていることから、こう呼ばれる
→軍艦島上陸
■島の大きさ
南北:480m
東西:160m
面積:6.3ヘクタール
外周:1km
■人が住んでいた当時の島の施設
役場支所、郵便局、病院、幼稚園、小・中学校、銭湯、市場、旅館、映画館、パチンコ屋、テニスコート、弓道場など
【軍艦島の歴史】
- 1810年
- 漁民が炭坑を発見
- 1890年
- 三菱が地主から炭坑を譲り受ける
- 三菱鉱業高島鉱業所端島砿オープン
- 行政管轄は、西彼杵郡高島町役場端島支所が受け持った
- 1916年
- 朝日新聞が端島は軍艦に似ていると報道。端島に軍艦島の愛称がついた
- 日本初の鉄筋高層アパートが建設された
- 1960年代初頭
- 炭坑に就業する家族ら5,000人が住んでいた
- 1963年
- 日本で初めて屋上緑化に取り組んだ
- 1973年
- 12月、石炭の採掘停止
- 1974年
- 1月15日、すべての炭坑が閉鎖された
- 4月、最後の住民が島を離れた
- 1986年
- 写真集が発売された。「軍艦島−雑賀雄二写真集 棄てられた島の風景−」雑賀雄二 新潮社
- 巻末には、閉山から島民が島を離れるまでの日々の記録が添えられている
- 2003年
- 7月発売の書籍「バトル・ロワイアルU」杉江松恋 の舞台となる。主人公 七原秋也が籠城する軍艦島を巡る攻防が描かれた
- 映画「バトル・ロワイアル2」のロケが、軍艦島で行われた。
- 2003年
- 9月10日、長崎〜野母崎航路が認可される。海路の途中に軍艦島のそばを通る。上陸はできない
- 軍艦島を世界遺産に登録する運動が始まった
- 2004年
- 7月3日、観光船就航。十月まで毎週土曜・日曜に往復2便運航
- 2005年10月
- 「軍艦島の遺産」後藤惠之輔 坂本道徳 長崎新聞社 出版
- 炭坑という視点から詳しく書かれている。
- 2007年度
- 長崎県が1億5,000万円をかけて、観光用の基盤を整備。上陸ツアーの準備が始まる
- 2009年
- 1月、世界遺産暫定リスト登録
- 4月22日、上陸解禁 観光ツアーが始まった。
- →軍艦島上陸ツアー
- 2013年
- 9月20日、日本政府が世界文化遺産推薦を決める
- 11月4日、かつて在住した小中学生120人が軍艦島で同窓会を開催
- 2015年
- 5月4日、ユネスコが軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を世界文化遺産に登録勧告
- →世界遺産
- 9月17日「軍艦島デジタルミュージアム」が長崎市松が枝町5-6にオープン
*参考文献「メルマガ長崎県」
「ながさき夢百景第15号」長崎県発行 2003年9月
「軍艦島−雑賀雄二写真集 棄てられた島の風景−」雑賀雄二 新潮社 1986年
「軍艦島の遺産」後藤惠之輔 坂本道徳 長崎新聞社 2005年
■石川県にある見附島も、そのカタチから軍艦島という通称があり、旅行会社は「軍艦島(見附島)」として宣伝している
〜2011年5月記〜
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