日比谷公園

最終更新 2013/6/1
1903年にできた日本の洋風公園

東京の年表

所在地:東京都千代田区日比谷公園
駐車場:有料地下公共駐車場がある
最寄り駅
東京メトロ丸の内線・千代田線「霞ヶ関」 徒歩2分
日比谷線「日比谷」 徒歩2分
JR「有楽町」 徒歩10分

洋食の日比谷松本楼がある
千代田区立日比谷図書館があり20時まで開いている
音楽ホール 日比谷公会堂 がある。施設は古いが、客席もトイレも綺麗である
落葉シーズンには、イチョウの落ち葉で黄色に埋まる
中央省庁が集中する霞ヶ関に隣接している。霞ヶ関には官僚30万人のうち10万人がいる。〜20万人は地方の出先に出ている。〜
平日のお昼時、噴水の周りは空の下でお昼を食べる人でいっぱいになる
東京マラソン「10kmの部」のゴール地点

【日比谷公園の歴史】

1903年 明治36年
6月1日開園
同日、レストラン日比谷松本楼もオープン
1905年 明治38年
8月1日、音楽堂 開堂式
1910年
日比谷公園事務所ができた。現在は東京都の文化財
1923年
大音楽堂ができる
9月1日関東大震災 翌日には15万人が公園に避難した。東京市は2970坪分のバラックを建て1638世帯6130人を収容。このバラックが撤去され公園の姿を取り戻したのは5年後の1928年(昭和3年)だった
1929年 昭和4年
10月19日、日比谷公会堂落成 日比谷公会堂は安田善次郎が寄贈した
1961年 昭和36年
大噴水造成
1973年 昭和48年
松本楼改装オープン
2003年 平成15年
100周年
2007年
12月21日〜1月1日、日本一高いクリスマスツリーが設置された。
100余年前、日比谷公園の設計者本多静六が設計図に門を書かなかったところ「なぜ各門に門を設けないのか、夜間に花や木を盗まれてしまう」と市会で反対された
だが本多は 「公園の花が盗まれないくらいに国民の道徳が進まねば日本は亡国だ。公園は公徳心を養う教育機関の一つになるのだ。私は公園にたくさん花を植えて、国民が花に飽きて盗む気が起こらないくらいにするのだ」 と答え、門を作らなかった
今となっては公園に門がないのは当たり前だが、日本初の洋風開放型公園ができる経緯には、こんなエピソードがあった


2013年6月1日撮影

東京マラソングリーンプロジェクト

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