【こんどう げんり】生涯の大半で家庭的障がい者施設を実践した教育者
その主張
■障がい者施設の大型化、隔離化、分類化、合理化に異を唱えた
■「こまやかさ」と「おおらかさ」の清濁併せのむずぶとさが大事と説く
*「なずなの日日」あとがきより
【 時系列の記録 】
- 1931年12月22日
- 長崎県の北松浦郡小値賀町で近藤益雄の(三男四女の)次男として生まれる
- 1950年(昭和25年)
- 3月、猶興館高校(平戸市)卒業 佐々小学校教諭となる
- 4月、父・近藤益雄が田平小校長を辞して、口石小学校に障害児学級「みどり組」を開設、担任となる
- 1953年(昭和28年)
- 4月、山口県に転任。小学校で特殊学級の担任となる
- 11月23日、父・近藤益雄が教諭のかたわら佐々町に障害児の生活施設「のぎく寮」を開く
- 1959年(昭和34年)
- 山口県から戻り「のぎく寮」で生活を始める
- 1962年(昭和37年)
- 4月、近藤益雄が小学校を退職して(この時、のぎく寮改め)「のぎく学園」に専念
- 秋、近藤益雄がのぎく学園のそばに成人ホーム「なずな寮」を開く。その運営を任されて、成人知的障がい者と共に暮らし始める
- 1973年
- なずな園からの実践報告「精薄のおとなたちと」鳩の森書房
- 1976年6月15日
- 第二の実践報告「なずなの日日」ミネルヴァ書房
- 1979年(昭和54年)4月
- 「のぎく学園」を閉じる
- 1991年12月9日
- 「なずな園」を取材したNHKドキュメンタリー「なずなの日々」が放送される
- 2000年(平成12年)
- 「なずな園」を閉じる
- 2009年6月25日
- 城台巖の写真、近藤益雄の詩を交えた随筆写真集「この子らと生きて−近藤益雄と知的障がい児の生活教育 写真記録−」日本図書センター
- 2017年12月9日
- 逝去 享年85歳
*参考文献
「この子らと生きて」 日本図書センター
「なずなの日日」ミネルヴァ書房
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