瀬古利彦
最終更新 2009/2/18
勝負強さと美しいピッチ走法でマラソンファンを拡大した選手。三重県立四日市工業高校−早稲田大学−SB食品
- 1956年
- 7月15日、三重県生まれ
- 1977年
- 2月、京都マラソンで初マラソン。引退後このレースを振り返り「こんなにきついのか。途中で100回くらいやめようと思った」と語っている
12月、福岡国際マラソン5位入賞(日本人最高位)
- 1978年
- 12月、福岡国際マラソンでマラソン初優勝 競技場に入り手をぐるぐる回すガッツポーズがかっこよかった。以降同大会3連覇
- 1980年
- 金メダル確実と思われたピーク時に迎えたモスクワ五輪、ソ連がアフガニスタンに侵攻したため日本は不参加
- 1983年
- 福岡国際マラソン4度めの優勝 イカンガーに次いで平和台競技場に入った瀬古は残り150mで苦しい表情を見せ、さすがに今日はここまでかと思わせた直後、ラスト100mで脱兎のようにイカンガーを抜き去り優勝。観客の度肝を抜いた。場内放送の係りも動揺し「ただいまの記録は世界記録です」と誤報を流すほどだった
- 1984年
- ロサンゼルス五輪で五輪初出場 14位
- 1986年
- シカゴマラソン優勝 自身のベストタイム2時間8分27秒
- 1988年
- ソウル五輪9位
現役引退、SB食品陸上部監督就任
- 2006年
- 初めての著書「マラソンの真髄」出版 男子マラソンの低迷を打破するため、アスリート向けに手の内を公開している
◆2007年東京マラソンの前日、サイン会でペンを走らせる瀬古さんを見た。テレビで見ると太って見えるが、間近に見ると今も顔は細かった
宗兄弟
マラソン名言集
初出2006年1月Copyrightしらべる 今日の更新