講演「捨てる技術」

最終更新 2001/4/7
大田区生活センター
住まいの講演会2001

マーケティング・プランナー 辰巳渚

今日はモノを持つとはどういうことか、見極めるとはどういうことかを考えていただきたい。
マーケティング・プランナーとは
どういうものを出せば売れるのかを企業に提案する仕事。世の中の現象、声をしらべて分析する仕事。
企業の本音はお金儲けだが、建前は皆さんが豊かになって欲しいと言うこと。
ちょっと便利なモノ、去年のものとちょっとだけ違うモノも作らないといけない。個人で言うと
「それ要らないんじゃないの?」と思うことがある。なくてもいいものがいっぱい有るんじゃないか。
私たちは身の回りにあるモノをきちんと見直した方がいいんじゃないか。そういう時に「捨てる」
と言う言葉に出会った。
企業で資料をどうやって整理するか?という話しになった時
私は整理が苦手なのでなんでも捨てていた。捨てるということが私の管理の方法だと言ったら
ブーイングがきた。「後になって困ったらどうするんだ?」
そこで「捨てる」というテーマで「捨てる技術」を書いた。
市場の反響は予想に反して好意的だった。生活の中で要らないモノがあふれていてどうしようと
思っていたと。
不況と言われて10年もたつのだが
2歳の子供の親として主婦として、どうしてこんなにモノが多いんだと思う。物質的な意味では不況
じゃないのでは。食べれているし、着たいものも着れている。なぜ心が満たされないのだろう?
戦後50年、(私は1965年生まれですが)私たちがずっと目指してきたものはもう達成されたんだろう
と思う。ずっとモノがある暮らしが幸せな暮らしと思っていた。
TV、食糧、車・・アメリカを見て「そうかモノがなければいけないのか」と思って、それを目指してきた。
経済の人はこの10年を「失われた10年」というそうですが、私は暮らしを見直す10年と思っています。
シンプルライフと言う言葉がありますが、それがどういうことかを見つけるのは難しいことです。
それを見つけるために一旦捨てましょうといっているのです。
現在は初めてのモノが有り余っている時代。そういう時代で人は暮らしたことが無くてどうしていいのかわからない。
いったん手に入れたもの、これは私にとって要るのかな?10万円で買ったけど、その価値が今も
自分にあるかな。
毎日モノを捨てる時に自分に問いかけてみる
「捨てる技術」には捨てる20箇条を書いたが、それを全てやることはない。私も技術の方は2つ
くらいしかやっていない。
たとえば、人からもらった趣味の悪いお猪口、とりあえず押入に仕舞えば安心できる。昔買った
洋服、今は太ってウェストが入らないけど持っていた方がもったいなくない。
持っているだけじゃウェストは細くならない。お猪口が趣味が悪いというのも大事な自分の価値観、
私は趣味に合わないといちいち確認するかしないかというだけの問題。
使わないものは持っていなくていいんじゃないかなと考えて欲しい。たとえば子供の頃の思いで
の品とかそういうモノは大切なもの(とって置いてよい)
あぁいう本を書いておいてなんですが、大切なのはご自分自身が判断するということ。
ある時TVで「片づいてないお家に行って辰巳先生が捨て方を伝授して」というのがあった。
確かにお家は綺麗になったけど、後から聴いたらトラックに山積みになったモノを結局家の人は
家の中に戻してしまった。その人が突き詰めて考えてくれなかったから。
人が見たらゴミでも宝物でも自分にとってはこうだと考える。
これは会社選び、結婚・・なんにでも言えること。
1965年頃だと一流の大学、企業に行って・・というのがみんなが認めてくれる幸せな暮らし方だった。
どういうふうに生きるかに正解はない。
私も捨てたあとに「しまった」と思ったことがある。
でもそれは本当の失敗ではない。私が決めたんだと思う気持ちがあればそれでいい。
自分の判断への自信、そこに価値をおく気持ちがあれば立ち直る力もある

日本全体のこと
脱物質 心の時代 と言われている。
それはなかなか難しい、個人個人が勝手にやっていけばよいと言うものでもない。
どうも私たちは西洋人になりたいと思っているところがある。
でも心は西洋人になれない。昔の人は和魂洋歳と言った
私たちは自分の心が見えなくなっている。
日本人はモノと親しくして生きてきた。針供養とか筆供養とか。あと日本には他の国にないモノの
オバケがいる。傘とか柄杓とか。
今、モノに囲まれているけど、きちんとモノとおつきあいしてるのか。ちょっと便利、流行のモノが
出てくるとそっちへ行ってしまう。
日本人らしさ、生活の知恵はいきなり作ろうとしてできるわけでもない、一人一人がどういうふうに
生きていけばいいかなと真剣に考えていくことで日本的な型ができてくるのでは。
和家具、畳、かやぶき屋根、古い着物・・を若い人が好んでいる。これは私たちらしさを取り戻したい
という動きだと思う

縄文時代の貝塚のはなし
貝塚はゴミ捨て場ではなく、モノを祀る場所だったのではないかという考察がある。
捨てるということも大切なこと、きっちり使いきって感謝して捨てることを持っていたのでは。
モノがたくさんあると、感謝の気持ちが薄れるのでは
モノの量が価値だった時代は終わりにしたい。自分が選んだものを、最後までありがとうと言える
までつきあっていく、そういう気持ちを持てるようになればよいと思います。

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