55


55という数字にちなむエピソード

王貞治が持つ55本の日本プロ野球本塁打記録にちなみ、ホームランを多く打つ選手の背番号につけられることが多い

1955年
自由民主党と社会党による「55年体制」始まる
1964年
王貞治が年間55本塁打の日本プロ野球記録を作る
王はこの年24歳、プロ入り6年め。1シーズンは140試合制だった
1991年
巨人に入団した松井秀喜の背番号が55に決まる
1998年
松井秀喜24歳プロ入り6年めは34本塁打(1シーズン135試合)
2001年
この年からセパ共に1シーズン135→140試合に増える。タフィ・ローズ(当時 近鉄・33歳)が55本タイ記録。だがシーズン終盤 記録を更新させないための敬遠がみられた
松井は36本
2002年
松井秀喜50本を打つ。(翌年MLBヤンキーズでは16本)
2003年
大韓民国プロ野球で李承(当時 球団はサムソン)が56本塁打。アジア記録と報道された。李はロッテ入団時、年間目標を30本と述べた。
NPB在籍2004〜2010年シーズンでは、巨人1年めの41本が最高
2008年
11月、巨人大田泰示に55番を与える際、わざわざ松井秀喜の了解を取った

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Copyrightしらべる 今日の更新 初出2002年1月 最終更新 2003/12/17