【あべ しんのすけ】 NPB選手(捕手 右投げ左打ち)→NPB監督
→巨人の歴代正捕手
1979年3月20日、千葉県生まれ
2000年9月、シドニー五輪出場
2000年11月、巨人逆指名 ドラフト1位入団
2001年10月、ルーキーシーズン140試合中128試合に出場。新人王は獲得できず
2002年、ベストナイン・ゴールデングラブ獲得。日本一
2003年、オールスター初出場
2012年、打点王、首位打者の二冠王
2013年、WBCで主将を務めた
2019年、現役引退
2024年、巨人監督就任1年め優勝
【時系列の記録】最新順
- 開幕
- ファーストから捕手に再コンバートされて迎えた初年度だったが、体調不良で二軍スタート
- 開幕
- 捕手からファーストにコンバートされて迎えた初年度だったが、相川亮二の故障、小林誠司が頼りないことから捕手に復帰。その後、体調を崩して6月初旬二軍落ち
- 8月以降
- 4番に座る。捕手を小林誠司に任せ一塁を守る試合が増えた
- 9月21日
- 300 二塁打(62人め) ヤクルト小川から
2014年9月19日撮影 本塁打を打ち2塁を回ったところで、すね当てが外れたよと言われてふり返る
- 3月
- WBC出場。主将を務めた
- 4月
- 開幕から4番を打つ。不定期でスタメンを外れて休養を与えられている。
- 4月21日、300号本塁打。NPB史上、捕手では野村克也(657本)田淵幸一(474本)に次いで3人目
- 10月
- リーグ優勝 怪我や休養で欠場することはあったが、一度も登録抹消されず、正捕手としてチームを支えた。夏場に村田修一が打撃開眼した後は3番を打った
- 日本シリーズ
- 「自分が打てば勝つ、打てなければ負ける」と発言。「負ける」と言葉にしたことを原監督から注意された。
2013年ドラフト会議で、巨人は小林誠司をドラフト1位指名した。
-
- シーズン当初は村田修一に4番を譲り5番を打つ。村田が不調を託った夏場からは4番。8月からは足首の状態が悪化して4番一塁で出場。
- シーズン首位打者、打点王
- 日本シリーズでは負傷で2試合を欠場したが最後まで出場。チームの柱として優勝に貢献した
- 4月6日
- オープン戦でふくらはぎを故障し、初めて開幕一軍を外れた
- 5月17日
- 交流戦初戦から復帰。中央大学の後輩澤村拓一とバッテリーを組んだ
- 5月18日
- 250号本塁打
■シーズンを通して捕手のレギュラーを守った
■亀井義行不調の後、シーズンの大半で5番を打った
■自己最多、巨人捕手としても最多の44本塁打
- 3月
- WBCに出場。城島の控えだった
- 6月8日
- 1000本安打達成。同じ試合で中井大介がプロ初安打を打った
- 9月18日
- 200号本塁打 神宮球場ヤクルト戦
巨人捕手の200号は初めて
ホームベースへの逆風で、センター方向の打球が押し戻されるなか、阿部の打球だけが一直線にバックスクリーン右へ飛び込んだ。
- 10月11日
- 優勝を決めた神宮球場でのヤクルト戦、2塁に帰塁した際、右肩を負傷
そのままシーズンを終えることになり、日本シリーズには鶴岡が出場した。これが鶴岡に経験を積ませることになり、2009年の戦力に厚みを加えることになった。
- シーズン開始
- キャプテンに就任
- 6月5日
- 初めて指名打者で出場〜対ロッテ戦 前日死球を受けたため
- 6月9日
- 初めて4番で出場。第1打席の初球を先制2点本塁打。2本塁打5打点。インタビューでは、4番を告げられて「正直なところ嬉しかった」と笑顔を見せた
- 8月
- タフィ・ローズ故障離脱のあと、5番に座る
23日、右肩痛のため、初めて先発で一塁を守る。数試合一塁で先発出場、その間の捕手は村田善則。そのままシーズン終了まで捕手出場なし
130試合出場(自己最多) 打率.300 86打点(自己最多) 26本塁打
【入団からの5年間累計】
586試合出場 打率.286 打点332 本塁打105
3月頃ミクシィで「阿部慎之助」というコミュニティができた。その後、ミクシィに「巨人軍 阿部慎之助」というコミュニティができて「阿部慎之助」は閑古鳥が鳴き閉鎖された
ミクシィではコミュニティを立ち上げる前に、同じテーマのコミュニティの有無を確かめるルールがある。そのルールを守らない人が後を絶たない
- 4月
- オープン戦打率.341
8日、6試合連続本塁打。プロ野球記録は7試合(1972年王、1986年バース)
21日、10号セパ両リーグ1番乗り
28日、自身初の1試合3本塁打
29日、月間本塁打15本(球団タイ記録 王貞治に並ぶ)。月間本塁打16本(球団新、日本記録 門田・江藤に並ぶ)
- 5月
- 1日、延長11回サヨナラ本塁打(投手:広島永川)
2日、26試合で18号。プロ2年目シーズンの年間自己最多本塁打に並ぶ
7日、今期初めて打順6番
11日、月間MVP初受賞。
12日、33試合で20号。最短記録更新。過去の日本記録はカブレラ(西武)の38試合。MLBはマグワイア(カージナルス)の35試合。打率・打点・本塁打3冠トップに立つ
26日、決勝タイムリー「最高です」封印宣言後初のお立ち台「おちゃらけてはいられない」とシリアスに決めた。ところが、報道陣がつぶやいた「なんだよ(今まで)おちゃらけてたのかよ」の声をマイクが拾い、いい場面が台無しになった
- 6月
- 24日、左足故障で欠場
25日、登録抹消
- 7月
- 2日、ローズが25号、これまで守ってきた本塁打1位を明け渡す
108試合出場 打率.301(自己最高) 78打点 33本塁打(自己最多)
- 4月
- 開幕2戦から3試合連続本塁打。開幕時7番、4月15日から6番を打つ。
- 5月
- 阪神戦で死球を受け4試合欠場。
- 7月
- 15日、オールスター監督推薦で初出場。初安打。
- 8月
- 17日、右肩痛で登録抹消
19日、全治6週間の診断
94試合出場 打率.303(規定打席届かず) 51打点 15本塁打
- 6月24日
- 札幌ドームの対広島 8回の守備、内野ゴロで本塁突入した福地と接触。左足を負傷、救急車で病院に運ばれた。診断は左足外側広筋内血腫、安静3週間。プロ入り初の登録抹消。
- 7月16日
- スタメン復帰。当初復帰は8月後半と言われていたが思いの外早い復帰となった。
- 8月4日
- 登録抹消された高橋由伸に替わりスタメン3番にはいる。初打席は内野安打。
- 8月11日
- プロ初サヨナラ本塁打
- 8月16日
- 死球退場
127試合出場 打率.298 打点73 18本塁打
最終戦でヒット一本足らず三割を逃す。サヨナラ打4本(球団タイ)で「サヨナラシンちゃん」と呼ばれ始める。ゴールデングラブ受賞(捕手史上最年少)。ベストナイン受賞
→阿部慎之助2001年公式戦全成績
- 1月25日
- 新人ただ1人キャンプ1軍スタートが決まる
- 2月19日
- 紅白戦で初アーチ
- 2月25日
- オープン戦初戦に初先発マスク、初出場、3−0
- 3月3日
- オープン戦3戦目で初安打(ダイエー斎藤)、初本塁打初打点(ダイエー斎藤)、初フル出場13失点
- 3月24日
- オープン戦2号本塁打
- 3月30日
- 開幕戦スタメンマスク
阿部慎之助の2001年
-
- シーズン盗塁阻止率.353(68−24)
- 11月6日〜
- IBAFワールドカップ出場
127試合出場 打率.225 打点44 本塁打13
2001年シーズンのセリーグ新人王は盗塁王となった阪神赤星
選考は189名のスポーツ記者による投票で行われ、赤星が152票、阿部は34票。
安田学園高校−中央大学
阿部の父親が、巨人 末次編成部長と親しく本人も巨人志望。3年春頃から巨人入団が確実と言われている。(2000/7/30記す)
シドニー五輪代表。古田が出場した五輪予選ではレフトを守ったアマチュアの主砲。本戦では古田は不出場だが、中日が急遽 鈴木捕手を派遣したために、せっかくの国際舞台での捕手経験の機会を失い、DHや代打出場となった。シドニー五輪での背番号は21。
(2000/9/27記す)
9/17 米国 DHスタメン 4−0
9/18 オランダ ベンチ
9/19 オーストラリア 代打 1−0
9/20 イタリア 代打 1−0
9/22 南ア 捕手スタメン 5−2−1
9/23 大韓民国 代打1−0
9/24 キューバ 一塁スタメン 4−0−1
9/26 キューバ 代打1−0
9/27 大韓民国 代打1−0 最後の打者
(成績は、打数−安打−打点)
巨人は1999年シーズン途中に、柳沢、吉原と準レギュラー級捕手を相次いで放出。阿部入団への布石と報じられた。(1999/6/23 夕刊ゲンダイより)
2000年7月30日、長嶋監督はニッテレ系の番組で「捕手を3人で使い回すのは邪道。1人に固定すべ
き。それも1〜2年以内に完成する」と発言
シーズン終了後には光山捕手に戦力外通告
杉山捕手のご乱行(自主的に退団)も阿部入団を控え面白くない気持ちがあったのだろう。
2000年11月6日、中央大学で会見。巨人逆指名を表明
■逆指名のことば
「私、中央大学硬式野球部、阿部慎之助は読売巨人軍を逆指名させて頂きます」
■巨人に決めた理由
「毎試合あの大観衆の中でプレーができると言うことと、やはりスカウトの方の誠意がすごく自分には、すごく伝わりました」
■どんな選手になりたい?
「球界を代表するキャッチャーに自分はなりたいと思ってますし、自分を試してみたいというのが強いです」
2000年11月17日、ドラフト巨人1位指名、背番号10
阿部逆指名の報を受け「何かエールを」と問われた松井秀喜は、
「大卒のことは大卒に聴けばいいんじゃないの?僕は高卒だから」
と反応した。悪意はないのだろうが、同期で仲良し、正捕手目前の村田善則のことを想うと「いらっしゃ〜い」と明るく答える気にはなれなかったのだろう
それにしても、大人げない対応だった。
→阿部慎之助2001年公式戦全成績
→沢村拓一の2011年公式戦全成績