フレッド・ブラッシー
最終更新 2004/4/16
人物事典(音楽・芸能・スポーツ・ホビー)
噛みつき攻撃の代名詞となっている元プロレスラー。故人
- 1918年
- 2月8日、米国ミズーリ州生まれ
- 1935年
- プロレスラーとしてデビュー
- 1961年
- 6月12日、WWAヘビー級王座獲得
- 1962年
- 3月、ロサンゼルスで力道山と対戦
4月、初来日。力道山と再戦。
7月27日、デストロイヤーに敗れWWA王座陥落
- 1968年
- 3度目の結婚。相手は日本人のモロズミミヤコさん
- 1973年
- 現役引退。その後はMSGマットを中心に悪役マネージャーとして活動
- 2003年
- 5月1日「フレッド・ブラッシー自伝」米国で発売。著者フレッディー・ブラッシー、キース・エリオット・グリーンバーグ。本人執筆に加えて出会った人々の談話を織り交ぜている
6月2日、心不全で逝去。享年85歳
12月19日「フレッド・ブラッシー自伝」日本語版発売。
最初に日本へ行った時には、テレビで放映された私のファイトを見て25名が心臓発作で死んだという」
*「フレッド・ブラッシー自伝」エンターブレイン より
◆最後の来日となったジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)の時、試合会場の体育館から前座の試合を終えて出てきたブラッシーをみた
このシリーズの来日外国人の主役はミル・マスカラス。全日本には鶴田が入り創生期の頃であった
ナマで見るブラッシーはTVで見る印象より驚くほど背が低かったが、体は厚かった。というのもトランクス1枚の試合姿のままで出てきたのである。会場が地方の中学校の体育館だったので着替える場所もなかったのだろう
田舎のおばちゃんたちに囲まれ
「ブラッシー!ブラッシー!」
と上気して赤くなった体をぴしぴしと叩かれつつも
にこにこ嬉しそうに笑いながら、
「タクシー、タクシーね」
とおどける姿に紳士で優しい人柄が垣間見えた
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初出2004年4月
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