箱根駅伝の歴史
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- 1920年(大正9年)
- 第1回開催
- 1953年(昭和28年)
- NHKラジオで中継放送開始
- 1989年(第65回)
- ニッテレがテレビ中継放送開始
- 1994年(第70回)
- 初めて11時間を切る 山梨学院大学 10時間59分13秒
- 2002年(第78回)
- 初めてドーピング検査が実施され、その後続いている。一部の区間、選手だけが対象。すべての区間で実施するわけではない。ドーピングが発覚した場合、その選手の記録、所属大学の順位が無効となる
- 2004年(第80回)
- 80回記念大会のため、日本学生選抜(日本学連)がオープン参加
- 2005年(第81回)
- 関東学生選抜(関東学連)がオープン参加。2013年大会まで参加
- 2008年(第84回)
- 関東学連が初めてシード圏内の4位にはいった
- 10区蒲田踏切で東海大学の荒川が足をくじいてゴールまで2kmを残して棄権
- 2012年(第88回)
- 蒲田踏切を渡る最後の大会
- 2013年(第89回)
- 関東学連選抜が参加する最終回
- 2014年(第90回)
- 関東学生連合のオープン参加が始まる
- 2015年(第91回)
- 箱根山上りの麓にある「函嶺洞門」老朽化による通行止めにより、隣接するバイパスにコース変更。5区・6区の過去大会記録が参考記録扱いとなった。
- 大会運営車を降りて行う給水が禁止された
- 2017年(第93回)
- 4区を延長(18.5→20.9)、5区(23.2→20.8)を短縮
- 10区の日比谷交差点 神奈川大学の中神恒也がクルマに跳ねられそうになった。交差する道路の交通規制が行われていなかった
- 2018年(第94回)
- 運用規程変更〜関東学生連合は初出場の選手で構成する。過去大会で実際にコースを走った選手(出場)は選出しない
- 2019年(第95回)
- 小田原(4→5区)の繰り上げスタート時間が20分→15分に変更された
- 2021年
- コロナ禍により沿道の応援自粛が要請された
- 2022年
- 沿道の応援が通常の賑わいに戻っていた
- 中学体育教師を休職している駿河台大 今井隆生(31歳)が出場。かつての教え子に襷を渡した
- 2024年
- 第100回記念大会 予選会の門戸を全国に広げ、関東以外から11校が参加したが出場権を得た大学はなかった
- 沿道の声出し応援規制なし →コロナの歴史
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Copyrightしらべる 今日の更新 初出2017年12月