福岡ソフトバンクホークス
最終更新 2009/6/1
福岡に本拠を置くプロ野球パリーグ球団
- 1938年
- 南海電鉄を親会社とする南海軍設立
- 1947年
- 南海ホークスに改称
- 1973年
- 野村克也監督兼捕手のもとリーグ優勝。日本シリーズ巨人との初戦終盤、相手の用兵を読んだみごとな采配で勝利。シリーズは敗退。南海としては最後のリーグ優勝となった
- 1988年
- 秋口に読売新聞(福岡版)が朝刊1面トップで南海ホークスの身売りを報道。3か月後ダイエーが買収、福岡移転が現実となった
- 1989年
- ダイエー店舗でファンクラブ会員を勧誘。年会費わずか千円でウィンドブレーカー、キャップなどがもらえた
福岡ダイエーホークス1年目は本拠地平和台球場。これに伴いライオンズが所沢に去ったあと平和台で西武を除く11球団の興業をおこなってきた平和台野球(株)は解散。職員はダイエーホークス球団に移った。南海ホークスの杉浦監督が留任し指揮を執る
- 1993年
- 本拠地として福岡ドーム使用開始
平和台球場はレフトスタンド最前列あたり下に鴻濾館遺跡が出土しており、以前から球場を取り壊して文化遺産として保存する計画があった
- 1995年
- 王監督1年め。54勝72敗で5位
- 1999年
- ダイエーとして初優勝、中日を破り初の日本一
- 2000年
- 日本シリーズ用に福岡ドームを予約しておらず史上初の変則日程となる。最初で最後のON対決は2−4で巨人に敗れた
- 2003年
- 阪神を4−3で破り日本一。7戦とも本拠地チームが勝った
オフ、小久保を巨人に無償トレード、以後「9」を空き番にした
- 2004年
- シーズン1位だったがプレーオフで西武に破れ優勝扱いにならず
12月、ダイエーからソフトバンク(孫正義社長)に経営権が移る。王貞治監督は「これで、堂々と表を歩ける」と、ダイエーに対して辛辣な発言をした
- 2005年
- シーズン1位だったが、プレーオフでロッテに破れ優勝扱いにならず
- 2006年
- シーズンオフ「9」を空けておいた小久保裕紀がFA権を利用して巨人から復帰
- 2007年
- クライマックスシリーズ第1ステージで敗退
11月、ドラフト会議で大場の交渉権を獲得
- 2008年
- 王監督最後のシーズンは最下位だった
- 2009年
- 秋山監督1年め
- 2010年
- リーグ優勝 クライマックスシリーズで3位のロッテに敗れ、日本シリーズに出場できなかった
- 2011年
- リーグ優勝 日本シリーズで中日を破り日本一。
- 2014年
- リーグ優勝 日本シリーズ出場
→楽天イーグルス
初出2004年12月
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