■尊敬を得られないホームラン王
1996年 山崎武(中日 当時監督は星野)
39本で松井、大豊(中日)を1本リードして迎えた巨人との最終戦。中日は松井を4打席敬遠した
中日はこの年が狭いナゴヤ球場最後の年。松井が初めて本塁打王を取るのはこの後の1998年。広くなる球場、成長してゆく松井。山崎は「せこいかも知れないけれど、一度きりかも知れないから」という主旨の感想を述べた
2007年 村田修一(横浜)
35本で高橋由伸(巨人)、ウッズ(中日)と並んでいた10月6日のこと。引退試合として9回2死10対0でリードの場面で出てきた佐々岡から36号を打ちタイトル獲得を手中に収めた。しばらく第一線を離れていた投手から「タイトルがかかっていたから」と放った本塁打は、試合後に涙で「辛かった」と語ろうが尊敬されない。横浜は翌日以降に3試合を残していた(中日1ヤクルト2)
■55本は外国人には超えさせない
NPBの最多本塁打記録が王貞治の55本だった頃
・1985年巨人(当時監督は王)は54本を打っていたバースを全打席座ったまま敬遠した
・2001年福岡ダイエーホークス(当時監督は王)は55本を打っていたローズを事実上全打席敬遠した
Tweet