堀内恒夫

最終更新 2014/12/20 今日の更新
【ほりうち つねお】前巨人監督
 甲府商−巨人−野球解説者−巨人−野球解説者,読売新聞アドバイザー−巨人−野球解説者-参議院議員 現役時代〜投手 右投げ右打ち

【堀内恒夫の略歴】

1948年
1月16日、山梨県生まれ
1963年
菅沼八十八郎の誘いで甲府商業へ進む
1965年
第1回ドラフト会議、ドラフト1位で巨人入団。背番号21
1966年
4月14日、登板。6回2失点勝利
その後2軍に2度落ちるが開幕13連勝(日本プロ野球記録)。シーズン成績16勝2敗。新人王、最優秀防御率(1.39)、勝率1位(8.89)、沢村賞
1967年
背番号が藤田元司(当時投手コーチ)が現役時代つけた後空いていた18に変わる。21は同期の高橋一三がつけた
10月10日、ノーヒットノーラン(対広島)
1972年
父が病床に伏す中26勝9敗(最初で最後の20勝・最多勝・シーズンMVP)。沢村賞、日本シリーズMVP
1973年
10月30日、日本シリーズ第3戦、1試合2本塁打と勝利投手。日本シリーズMVP、巨人は日本シリーズ9連覇
12月2日、結婚
1980年
6月2日、7回表降雨コールド、完投勝利で200勝
1983年
10月22日、堀内デー。プロ最終打席でプロ通算21号本塁打
オフ現役引退。プロ通算203勝139敗6セーブ、防御率3.27
ここまで、*参考文献「ただ栄光のために−堀内恒夫物語」海老沢泰久 文春文庫 1995年7月 〜堀内だからこそ面白い実話を綴った書
1984年
巨人投手コーチ
1985年
オフ、巨人退団
1992年
オフ、長嶋茂雄2度目の監督就任と同時に、巨人投手コーチ就任
1998年
巨人ヘッドコーチ
優勝できず、オフに退団
2003年
9月26日、原監督の急遽退任を受けて巨人監督就任会見
10月8日、背番号88と公表
2004年
4月6日、開幕4戦めで勝利〜対中日戦
審判のストライク、アウトの判定には一切クレームを付けず、嫌みも言わない姿勢を貫いている。抗議魔の横浜山下監督と好対照だった
10月、優勝を逃す。評論家時代は巨人の悪口ばかり言っていたので、よほど戦略があるのかと思ったら無策の監督だった。木佐貫の抑え転向は4ヶ月遅かった
2005年
選手に全責任を負わせるために一切采配をふるわない
シーズンオフ解任
2008年
日本シリーズの解説では、相変わらず悪い結果を見届けてから全否定するスタイルが見られた
9月25日、著書「バカでエースがつとまるか!」出版
2010年
7月、第22回参議院選挙に比例代表 自民党から立候補して落選
2013年8月
自民党議員の死去に伴い、繰り上げ当選で参議院議員となる
座右の銘は身延山の住職松本学昭から教わった「少欲知足」

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世界の平和実現 Copyrightしらべる 今日の更新 初出2003年9月