育成を目的としたNPB選手の契約制度
概要
■2005年オフに創設
■NPBの支配下登録選手枠は1球団あたり70人までだが、それとは別枠で契約できる
■新規育成契約はいつでもできる。(支配下選手には7月31日までという補強期限がある。8月以降シーズン終了までは契約できない)
■育成選手は3桁の背番号を着ける
2010年シーズンまではすべて 100番台だったが、2010年11月に規約が変わった。2011年シーズンより巨人は全育成契約選手を 001 から付番した
【育成選手の歴史】
- 2005年
- 10月21日、プロ野球実行委員会で承認された。
- 巨人はこの制度を使い、一旦2005年オフに解雇した平岡政樹、横川雄介と再契約。
- 12月1日、育成ドラフト開催 巨人が山口鉄也を指名
- 2007年
- 2006年オフにトレードを直訴してオリックスを自由契約となり、各球団が獲得を見合わせていた中村紀洋を中日が育成選手として契約。開幕前には支配下選手登録され、年間を通してレギュラーとして主軸を打った。中日は育成選手の主旨をねじ曲げ、テスト採用に利用した。
- 5月9日、巨人の山口鉄也
が、育成選手からプロ契約した投手として初勝利
- 2008年
- 3月、巨人 隠善智也が支配下登録され、開幕一軍入り
10月30日、ドラフト会議終了後、育成ドラフト開催。西武、オリックス、日本ハム、横浜を除く8球団が参加。26選手が指名された
巨人山口鉄也が、育成枠入団選手として初めて新人王を獲得した
- 2009年
- 育成枠入団の巨人松本哲也が新人王を獲得した
- 2010年
- 11月9日、背番号の付番規約が、100番以降から3桁の数字に変わった。
■対象となる選手
育成ドラフト(二次ドラフト)指名選手
プロ野球を自由契約になった選手
■最低年俸保証:240万円(支配下選手は440万円)
■ファームの試合出場可能(1球団5人まで)
■一軍の試合は出場不可
2005年11月時点では「準支配下選手」という仮称がついていたが、その後、正式に育成選手と呼ぶことになった
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