J.LEAGUE
日本の男子プロフットボールリーグ
概要
■欧州シーズンは暑い夏を避けて8月頃始まり年をまたいで5月に終わるが、日本では雪の影響を受ける冬の試合を避けるため、春に始まり年内に終わる
■カテゴリーは「J1」「J2」「J3」の3クラス
■Jリーグの下部組織にJFLがある
【 Jリーグの歴史 】
- 1993年
- 10チームで創立。5月15日、読売ベルディ−−日産マリノス戦で開幕。毎週水曜、土曜の2試合開催という過密日程だった
創設当初はチケットが手に入らず、子供達のスポーツ人口も 「キャプテン翼」 の影響でサッカーに流れたため 「プロ野球が半世紀で築いた地位を1年で追いついた」 とテレビで報道する局があった。当初は引き分けがなく サドンデス方式(後にVゴールと改名)で勝敗を決していた
1993年 W杯最終予選 「ドーハの悲劇」、1998年 フランスW杯での惨敗(予選リーグ3連敗)など日本代表の不振が響き人気が低迷した
- 1995年4月1日
- 横浜フリューゲルス-サンフレッチェ広島
- 横浜の1stユニフォームは白。従ってアウェイの広島は紫の1stユニフォームを持参すべきだったが、2ndユニフォームの白しか持参しなかった。
- 同系色のユニフォームでは試合ができないため、広島はサポーターから紫の1stユニフォームを借りて、ユニフォームナンバーをテープで貼り付けて間に合わせた
- 1996年
- 年間1シーズン制に移行(1シーズン限り、1997年から再び2シーズン制に戻る)
- 1998年
- 「J1」「J2」の2リーグ制に移行
- J1の年間成績下位2チームと、J2の上位2チームが自動的に入れ替わる
- 10月、マリノスとフリューゲルスが合併して横浜F・マリノスとなることを発表
- 1999年
- 1月の天皇杯、消滅が決まり敗退した試合が最終戦となる横浜フリューゲルスが勝ち進み優勝
2月、フリューゲルスサポーターが組織の母体となった横浜FCのJFL(J2のひとつ下のリーグ)参加が認められる
- 2002年
- 6月、日韓W杯で日本代表がベスト16進出。前回フランス大会後は惨敗のためにJリーグ人気が低迷したが、今回は堅調を維持した
- 2003年
- 延長Vゴール(=ゴールデン・ゴール)方式を廃止。同スコアは引き分け、両チーム勝ち点1となった
- 2005年
-
1月1日「JFA2005年宣言」川淵キャプテンは2050年までに再びW杯を日本(単独)開催し優勝するとした
- 参考文献「虹を掴む」川淵三郎 講談社 2006年6月
J1を2チーム増やし18チームとなる(J2は12チーム)。年間2シーズン制を1シーズン制に変更。新たにJ1の16位(下から3番め)とJ2の3位で入れ替え戦を行う
5月8日、G大阪の新人前田雅文のプロ初ゴールが「J1通算1万ゴール」となる
12月3日、最終節開始前時点で5チームに優勝の可能性が残る激戦を制したのはG大阪
2007年
11月、Jリーグクラブでは初めて浦和レッズがACLを制し、自力でFIFAクラブワールドカップ2007出場権を得た
2008年
J2が22チームになった時点で、JFLとの入れ替え制度を導入することを決める
2012年
J2とJFLの入れ替えが始まる。シーズン終了後、JFLからV・ファーレン長崎がJ2に昇格した
2014年
J3創設 J2の入れ替え対象がJFLからJ3に変更された
2015年
明治安田生命がJ1、J2の「タイトルパートナー」となり「明治安田生命Jリーグ」という呼称に移行
◆地域に根ざしたクラブチームづくりを標榜しているが、集客が見込める浦和レッズ戦では千葉は国立、横浜FCは日産というように、ホームゲームで本拠地を捨てている。
プロ野球ではその逆に、広島が地元で客が入らないため中日戦を岐阜で開催、ヤクルトが神宮の席数が少ないため日本シリーズを東京ドームで開催したことがある
〜2007年11月記〜
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