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Jリーグ

最終更新 2007/12/2
日本のプロフットボールリーグ。
欧州シーズンは暑い夏を避けて8月末頃始まり、年をまたいで5月に終わるが、日本では雪の影響を受ける冬の試合を避けるため、春に始まり年内に終わるシーズンとなっている

【 Jリーグの歴史 】

1993年
10チームで創立。5月15日、読売ベルディ−−日産マリノス戦で開幕。毎週水曜、土曜の2試合開催という過密日程だった。
創設当初はチケットが手に入らず、子供達のスポーツ人口も 「キャプテン翼」 の影響でサッカーに流れたため 「プロ野球が半世紀で築いた地位を1年で追いついた」 とテレビで報道する局があった。当初は引き分けがなく サドンデス方式(後にVゴールと改名)で勝敗を決していた。
1993年 W杯最終予選 「ドーハの悲劇」、1998年 フランスW杯での惨敗(予選リーグ3連敗)など日本代表の不振が響き人気が低迷した。
1996年
年間1シーズン制に移行(1シーズン限り、1997年から再び2シーズン制に戻る)。
1998年
「J1」「J2」の2リーグ制に移行。
J1の年間成績下位2チームと、J2の上位2チームが自動的に入れ替わる。
10月、マリノスとフリューゲルスが合併を発表。
1999年
1月の天皇杯、消滅が決まり敗退した試合が最終戦となる横浜フリューゲルスが勝ち進み優勝。
2月、フリューゲルスサポーターが組織の母体となった横浜FCのJFL(J2のひとつ下のリーグ)参加が認められる。
2002年
6月、日韓W杯で日本代表がベスト16進出。前回フランス大会後は惨敗のためにJリーグ人気が低迷したが、今回は堅調を維持した。
2003年
延長Vゴール(=ゴールデン・ゴール)方式を廃止。同スコアは引き分け、両チーム勝ち点1となった。
2005年
1月1日「JFA2005年宣言」川淵キャプテンは2050年までに再びW杯を日本(単独)開催し優勝するとした。
参考文献 
「虹を掴む」川淵三郎 講談社 2006年6月
J1を2チーム増やし18チームとなる(J2は12チーム)。年間2シーズン制を1シーズン制に変更。新たにJ1の16位(下から3番め)とJ2の3位で入れ替え戦を行う。
5月8日、G大阪の新人前田雅文のプロ初ゴールが「J1通算1万ゴール」となる。
12月3日、最終節開始前時点で5チームに優勝の可能性が残る激戦を制したのはG大阪。
2007年
11月、Jリーグクラブでは初めて浦和レッズがACLを制し、自力でFIFAクラブワールドカップ2007出場権を得た。
Jリーグの下部組織にJFLがある。J2が16チームになった時点で、JFLとの入れ替え制度が始まる予定。

地域に根ざしたクラブチームづくりを標榜しているが、集客が見込める浦和レッズ戦では千葉は国立、横浜FCは日産というように、ホームゲームで本拠地を捨てている。プロ野球では広島が地元で客が入らないため、中日戦を岐阜で開催、ヤクルトが神宮の席数が少ないため日本シリーズ東京ドームで開催したことがある。

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