ジャンボ鶴田
元プロレスラー。故人
- 1951年
- 3月25日、生まれ
- 1972年
- レスリング、ミュンヘン五輪代表
馬場に誘われ全日本プロレス入り。本名、鶴田友美でデビュー。その後リングネームを公募、ジャンボ鶴田と名乗る
4種類のスープレックスを駆使して、NWA王座初挑戦では、独自の技フロントスープレックスでジャック・ブリスコからフォールを奪う。プロレスファンに「新人がなぜここまでできるのか」と感銘を与えた
日本人では初めて、AWA世界王座を獲得
- 1992年
- 肝炎が発覚、試合数を減らす
- 1999年
- 3月、引退
- 2000年
- 5月13日、肝臓癌で逝去、享年49歳
- 2020年5月13日
- 「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」出版
- 2021年10月確認
- 2000年にこの記事を作った時に情報をいただいた「ジャンボ鶴田公認サイト」は既になくなっていた
◆1970年代半ばまでのプロレスは、日本人エースはシリーズの最後には勝つものと決まっていて、それがプロレスは「八百長」といわれる一因だった。しかし、肝心の試合でも全力を出しきった挙げ句負けてしまう鶴田は「プロレスも筋書きのないドラマだ」という価値観を生んだレスラーだった。彼の試合はファンにとって親戚のレスラーを応援するような一体感があった
〜2000年5月記〜
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Copyrightしらべる 今日の更新 初出2000年5月