桑田真澄


【くわた ますみ】元野球選手 PL学園−巨人−パイレーツ 投手 右投右打

1968年
4月1日、大阪府八尾市生まれ
4月1日生まれは法律で3月31日生まれ扱いとなるため1967年度の遅生まれ
1983年
PL学園入学。全国高校野球選手権大会(甲子園)全国制覇
1985年
8月、全国高校野球選手権大会(甲子園)全国制覇。甲子園5回出場(100%)20勝3敗
11月、ドラフト1位 巨人入団。早稲田大学進学を表明していたが4年後巨人に入れる保証はないため翻意
1986年
デビューシーズン2勝
1987年
15勝6敗。最優秀防御率、ベストナイン、ゴールデングラブ、沢村賞受賞
1989年
17勝(自己最多勝)9敗
1990年
2月「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」中牧昭二 リム出版 出版される。ダーティイメージがつきまとい払拭に4年を要した
14勝7敗
1991年
親戚がつくった借金を抱える
12月、真紀夫人と結婚
1994年
10・8決戦7回からリリーフ登板して3イニングを抑え胴上げ投手
14勝11敗、シーズンMVP獲得
1995年
5月24日、バント処理のダイビングで右ひじ靱帯損傷
10月、ジョーブ博士の執刀で手術
1997年
4月6日、1年半のリハビリを経て復帰。投球板に右ひじをつける儀式。6回1失点で勝利投手
5月「こぼれ落ちた一球―桑田真澄、明日へのダイビング」矢島裕紀彦 出版される
7月、FA権獲得
10月、シーズン成績10勝7敗。FA権行使 4年契約で残留
1998年
4月「桑田真澄―ピッチャーズバイブル18」石田雄太 集英社 出版される。桑田の経歴を中心とした内容
2000年
ON対決日本シリーズ第2戦の敗戦処理で登板。緩急をつけた投球でダイエーを完璧に抑え、第3戦から4連勝の流れをつくった。この桑田の功績を称えたメディアはしらべるがチェックする限り皆無だった
2002年
原監督の方針で先発に復帰
23試合 158.1回登板 12勝6敗 防御率2.22(リーグ1位)
2003年
5月8日、不調と左足首痛で登録抹消
2004年
堀内監督の方針で開幕から先発登板→登録抹消→中10日で先発の繰り返しで起用される
2005年
故障なくプレーしていたが、一勝もできずシーズンを終える
2006年
原監督一年めに防御率一位となった2002年の再現を期待したい
→結果は数試合登板して結果が出ず2軍暮らしとなった
11月、巨人を自由契約となる。MLBパイレーツに移籍
2007年
4月1日で39歳
6月11日、背番号18 対ヤンキーズ戦でMLB初登板 2回2失点
8月17日、戦力外通告により退団 後に桑田がストレスによる右目視力低下が原因と語った
2008年
3月26日、パイレーツのキャンプに参加したが、メジャー枠に入ることができず引退
巨人歴代18番

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Copyrightしらべる 今日の更新 最終更新 2015/9/27