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ミル・マスカラス

最終更新 2012/8/24  プロレスの歴史
Mil Mascaras いろいろな図柄の覆面を被るので「千の顔を持つ男」と呼ばれていたプロレスラー。
引退したという報道はないので、依然として現役レスラー。
国籍:メキシコ
ジグソーの「スカイハイ」をテーマソングに入場し、レスラー+テーマソングの元祖となった。
 メキシコでは映画俳優でもある

【 マスカラスの略歴 】

1942年
7月15日、メキシコ生まれ。
1964年
プロレスラーデビュー。
1971年
2月、初来日。
2003年
10月29日付け東スポで現在もメキシコで現役を続けていることが紹介された。
2004年
12月、映画「ミル・マスカラス対ザ・アステク・マミー」主演

試合ごとにデザインの違う覆面をつけるため「千の顔を持つ男」と呼ばれた。
その全盛時、プロレスファンのこどもの間では、
「本当は300くらいじゃないか」
「素顔もあるから、顔は1001じゃないのか」
という会話が交わされた。
ヒクソン400試合無敗と並び、いかにもプロレス的な遊び心のある数字。
(2003年9月記)

地方会場では新デザインのマスクを披露。大都市会場で行う節目の試合では額にが入ったトレードマーク・デザインのマスクを着用した。
1970年代はプロレスショップもなく「ゴング」で通販された1/1マスクはタオル地の安普請な代物ものだったが、元値2,500円が10,000円程度のプレ値をつけ「売ります・買いますコーナー」で取り引きされていた。
ある時期からはマスクを2枚重ねでつけて入場。リングアナウンサーのコールに応えて、上に被っている1枚を観客席に投げ入れるパフォーマンスを始めた。当時マスクの流通はなかったため、ファンは必死で争った。
(2004年12月記)

全日本プロレスに定期的に来日。
1974年、ザ・デストロイヤーの「覆面10番勝負」の対戦相手となる。試合は1−1からの3本目、足四の地固めにかかり足を痛めたマスカラスがデストロイヤーの頭越しのジャンプに失敗。急所を頭突きされるかたちとなりレフェリーストップ。名誉を傷つけずに片を付けた。デストロイヤーがマスカラスのタイツの腰ひもをゆるめるとマスカラスが嫌がるというシーンが印象的だった。
J・鶴田の「鶴田試練の10番勝負」にも登場。こちらは1−2ピンフォールできっちりと負けた。
エースのジャイアント馬場にも対戦を要望していたが、馬場はレスリングスタイルが合わないことを理由にシングルの対戦を一度も組まなかった。人気レスラーに傷をつけたくないという配慮だったと思われる。

2人の弟も「エル・サイケデリコ」「ドス・カラス」というプロレスラー。
サイケデリコの渦巻きデザインのマスクは、不二家のキャンディ「ノースキャロライナ」をヒントにしたと、当時のゴングに書いてあった。
2003年、ドスカラス・ジュニアがPRIDEに参戦したがミルコにあっという間に負けた。
(2005年10月記)

【 かすっているネタ 】
二岡智宏
覆面バンド

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