しらべるプロ野球用語事典

松井秀喜


【 まつい ひでき 】 NPB衰退の引き金を引いた野球選手。
星陵高−巨人−ヤンキーズ 外野手 右投左打 スポーツ用具契約会社「美津濃」

【 松井秀喜の略歴 】

1974年
6月12日、石川県生まれ 小学5年より野球を始める。
1992年
8月16日、全国高校野球選手権大会(甲子園)明徳義塾戦で5打席連続敬遠される。
11月、ドラフト1位(4球団競合)で巨人入団。
2度めの監督就任直後の長嶋監督が1位指名を伊藤智(元ヤクルトから松井に変更、自ら引き当てた。
1993年
オープン戦1軍帯同 打率.083、開幕2軍スタート。
同年移籍入団の長嶋一茂は.375で一軍スタート。
5月1日デビュー、同日プロ初安打(ヤクルト西村から)。一ヶ月間2軍に置いたのは11年在籍させるための策だったのか?(FAは1軍150日登録×10シーズンで取得できる。松井は11シーズン在籍)
5月2日、プロ初本塁打 野村監督が(2点リードの場面で)内角を打てるか試すよう古田に指示。高津が投じた内角直球を本塁打。→岡本和真
6月21日〜8月21日まで二軍落ち。8月22日以降、2002年の退団まで全試合出場。
1994年
10・8 ナゴヤ決戦で優勝。この年西武を破り日本一。
1996年
リーグ優勝 セリーグMVP
10月8日、中日戦4打席敬遠されて本塁打王に1本届かず。本塁打王は中日山崎
1997年4月27日
100号本塁打(広島山崎)
1998年
本塁打王 打点王(共に初タイトル)
1999年
7月27日、オールスター戦で左脇腹肉離れ。連続出場のために数試合は途中から守備のみ出場。
9月21日、200号本塁打。
初めて本塁打40本台(42本)を打つがペタジーニに破れ無冠。
2000年
2000年からシーズンを通して4番を打つ。 7月12日、札幌円山球場で1,000本安打(202人め)
135試合4番打者で出場。本塁打王(42本)、打点王、日本一、シリーズMVP、リーグMVP、初のゴールデングラブ賞。
2001年
チーム選手会長就任。
4月12日、1,000試合出場、250号(中日バンチ)
5月3日、1,000試合連続出場(5人め 最高は衣笠祥雄の2,215)「いずれ正選手を追われる時が来るだろうけど、その時まで続けたい」とコメント。
5月5日、長嶋監督は朝日新聞に「松井よ、君は残って欲しい」という書面を寄稿。日本球界に残って欲しいというメッセージを送る。
打率.333で初の首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。
オフ、6億1,000万円(過去最高)で契約更改。
2002年
テレビ金沢制作シーズンオフ企画番組「巨人松井の極めつけ!加賀金沢食いだおれ旅」で「お世話になったわけですから、今年FA権取得できるけれど、それ以降もYGにお世話になろうかなと・・ローカル局ならではの発言ということで残さしていただきます」と発言。
4月13日、FA権取得
7月9日、出場1,200試合めに300号本塁打(広島黒田)
8月1日、4番での連続出場日本新363試合
10月30日、巨人での最終打席。日本シリーズ第4戦9回表二死 投手西武豊田 ファーストゴロ。
10月31日、FA権行使メジャー行きを公表。この日に備え松井ホームランカードをつくり、松井好みの事業を展開してきた読売新聞の努力は松井を引き止めるためである。松井の選択は日本全体にとって「組織よりも個人」という価値観の転換ポイントになるだろう。
松井在籍11シーズンで巨人はリーグ優勝4回、日本一3回。日本での通算成績は1268試合 打率.307 安打1,390 本塁打332 打点889 盗塁46。連続出場1250試合。
12月、ヤンキーズ入団。背番号55
2003年
4月、開幕戦5番レフトで先発出場。初打席初球を安打打点。
4月8日、本拠地デビュー戦 本塁打(満塁)。開幕から7試合連続安打。
4月27日、初めて4番を打つ。
5月22日、初めて2番を打つ。
6月5日、初めて7番降格。4号本塁打。初の1試合4安打。
7月15日、オールスターファン投票選出(リーグ外野手2位)で出場。2打数1安打。
シーズン成績〜163試合全試合出場。打率.287、16本塁打、106打点
10月、ワールドシリーズ出場。1本塁打。第5,6戦は4番。2勝4敗でフロリダ・マーリンズに敗れる。
11月、新人王は逃す(記者投票で僅差の2位)。
2004年
3月31日、東京ドーム開催デビルレイズ戦で今期1号。
自分に言い聞かせるような語尾上げの「ん」が口癖となっている。
シーズン成績〜31本塁打
10月、地区リーグ優勝決定戦出場。
2005年
シーズン初めて打率3割を超える。
シーズン成績〜打率.305、116打点 巨人時代からの連続出場は1737試合
10月、地区リーグ優勝決定戦プレーオフで敗退
11月、契約更新〜4年およそ60億円 巨人は3年間「55」を欠番にして松井復帰を待っていたが、ここで松井と決別しなければならない。
12月、石川県にベースボールミュージアム オープン
2006年
5月11日、守備で左手首を骨折 4か月間欠場 10月、地区リーグ優勝決定戦プレーオフで敗退
2007年
5月6日、日米通算2000本安打
シーズン終盤右膝を傷める。ワイルドカードで進んだプレーオフには指名打者で出場。巨人は松井なき後初めてのリーグ優勝。ようやく松井後遺症を払拭した。
2008年
11月、巨人が松井がつけていた55を大田泰示につけさせることを決めた。
2009年
オフ、ヤンキーズとの4年契約が終了。この時松井は35歳。
28本塁打 一度も守備につかなかった。初めてワールドシリーズを制覇、MVPを獲得した。

書籍
「松井が行く」田中富士雄 中央公論新社 2003年3月15日初版 〜 2002年4月〜11月読売新聞に連載されたコラム。2003年は「松井が挑む」が連載されていた。


松井大輔

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