村田善則
【むらた よしのり】巨人の指導者
現役時代:捕手 相浦中−佐世保実業高−巨人 右投右打
長崎県佐世保市出身。相浦中では城島健司の2学年上
- 1992年
- 11月、ドラフト4位で巨人入団。(1位は松井秀喜)
- 2000年
- 76試合に出場。村田真一に次ぐ2番手捕手。工藤、高橋尚が投げる試合のマスクをかぶる。工藤にリードを学ぶものの高橋尚の左打者対策ができなかった。(高橋尚は日本シリーズ初登板で村田真一と組んで左打者を封じ完封勝利)
- 2001年
- 阿部慎之助の入団で控え捕手となる
- 2002年
- 阿部が正捕手となり2番手捕手
4月4日、1−2−5という珍しいダブルプレーを成立させた
6月〜7月、阿部が負傷欠場した間も勝率を落とさず存在価値を立証した
2002年、母校 佐世保実業高校移転。鹿子前入口の跡地には商業施設ララプレイスができた
- 2003年
- 依然2番手捕手。第二の捕手のため代打に立つ機会もほとんどない
5月〜阿部が死球負傷、扁桃炎で欠場時先発マスク。阿部よりも少失点の好リード
8月、阿部登録抹消の後先発マスク。8月24日現在先発試合は15勝8敗。原監督に「(阿部より)リードは上」と言わしめた
9月13日、ヤクルト鎌田から死球を受け右手親指骨折。痛みを隠してシーズン終了までプレーする
- 2004年
- 6月24日、阿部慎之助欠場で今シーズン初の先発出場。以後先発マスクをかぶる
- 2005年
- 開幕2軍(一軍は阿部、小田、西山)
5月19日、今期初出場。工藤完投勝利。決勝タイムリーを放ちヒーローインタビューに並んだが、工藤が先に喋っているうちに放送が打ち切られてしまった
- 2007年
- 背番号40に変更(12は鈴木尚広がつけた)シーズンを通して2軍。1軍捕手は阿部、加藤の二人体制
- 2008年
- オフ、現役引退 セリーグ最終戦(ヤクルト/神宮球場/前日優勝が決まり消化試合)途中から守備で出場。9回2アウトで打順が回り泣きながら打席に立った
- 2009年
- 巨人球団職員(スコアラー)
- 2012年
- 8月、出身校の佐世保実業が8年ぶりに甲子園に出場
- 2016年
- 高橋由伸監督の下、巨人1軍バッテリーコーチ1年め
他に村田といえば・・
村田和美
村田修一
村田透
佐世保
ありがとう Copyright silabel 最終更新 2015/10/29