プロレスの歴史
大まかな日本プロレスの歴史
- 1953年
- 力道山が日本プロレスを設立。→池上本門寺
- 1953年はテレビ放送開始の年。プロレスはテレビで放送されて人気を得た
- 1960年
- アントニオ猪木、ジャイアント馬場デビュー。
- 1971年
- ミル・マスカラス初来日
- 1972年
-
1月、日本プロレスを脱退した猪木が、新日本プロレスを設立
7月、馬場が日本プロレスを脱退して、全日本プロレスを設立
- 1973年
- デストロイヤーが全日本プロレスに常時出場を始める
- 1974年
- 3月、12月、ストロング小林が国際プロレスを離脱して猪木と対戦。
- 12月、馬場がジャック・ブリスコを破り、日本人で初めてNWA世界ヘビー級王座に就く
- 1976年
- 猪木が当時、ボクシングヘビー級王者だったモハメド・アリと対戦
- 1979年
- プロレスオールスター戦。馬場、猪木共にマッチメークを一任。馬場対猪木戦が実現する最初で最後のチャンスだったが、プロモーターは馬場、猪木対ブッチャー、シンのタッグマッチを組みファンをがっかりさせた。試合に勝利したBI砲は抱擁を交わした
- 1997年
- PRIDE1開催。ヒクソン・グレイシーと高田延彦が初対戦。プロレス・ファンの一部がヴァーリ・トゥードに流れ始める
- 1998年
- アントニオ猪木が引退試合を行い、現役を引退
- 1999年
- ジャイアント馬場逝去に伴い引退
- 2000年
- ジャンボ鶴田 逝去
- 2007年
- 「週刊ゴング」休刊
- 2009年
- 三沢光晴が試合中、バックドロップを受けて亡くなる
- 2010年
- 「週刊ゴング」の版元「日本スポーツ出版社」が破産
- 2010年代
- 新日本プロレスが一人勝ちの黄金時代を築く→オカダ・カズチカ
しらべるのプロレス記事
船木誠勝|
フレッド・ブラッシー|
61分3本勝負はなぜ61分なのか?
世界平和を実現
Copyrightしらべる 今日の更新 初出2010年2月 最終更新 2016/9/17