内海哲也
最終更新 2012/11/4
【うつみ てつや】敦賀気比高−東京ガス−巨人 投手 左投げ左打ち
- 1982年
- 4月29日、福井県生まれ
- 2000年
- 11月17日、オリックスがドラフト1位指名。仰木監督から電話を受けドラフト会議前の「巨人志望」から一転入団かと思われた直後、高校でバッテリーを組んだ李景一が巨人に8位指名を受けたことで再び巨人志望に戻った
12月3日、「巨人志望」をオリックス側に伝え交渉打ち切りを宣言
オリックスは1998年ドラフトでもダイエー志望を強く打ちだしていた新垣渚(沖縄水産高−九州共立大−ダイエー、投手)を1位指名。拒否されたうえ それを苦にした三輪田勝利スカウトが自殺している
当時、長嶋監督は「3年後の獲得はある」と報道陣に答えスポーツ各紙に掲載された
- 2001年
- 東京ガス入社
- 2003年
- 10月30日、自由獲得枠での巨人入団内定
祖父内海五十雄は1938年〜1939年、巨人に在籍(背番号26)。内海哲也も背番号26をつける
- 2004年
- 3月30日、イースタンリーグ初登板初先発初勝利。ファーム3勝3敗で一軍へ
5月19日、今期初の雨天中止で初先発を流す
5月25日、広島戦9回から初登板。1イニング3失点
9月26日、イースタンで先発起用で9勝5敗、防御率3・00(1位)の実績を挙げ一軍昇格しプロ初先発。8回途中まで3失点。交替後チームが逆転、勝ち星は前田につく
- 2005年
- 開幕第二戦に先発、4回5失点
4月9日、中日戦先発6回1失点、プロ初勝利
- 2006年
- 高橋尚成がベンチで打球を頬に受けて負傷後、ローテーションの柱として勝利を重ね、チーム内では最多勝
- 2007年
- 前年まで7年連続で開幕投手を務めていた上原が怪我で二軍スタートとなり、初めて開幕投手を務めた。年間を通して先発ローテーションを守り優勝に貢献。奪三振180はリーグ最多
- 2008年
- 終盤は阪神を逆転して優勝する原動力となった。12勝8敗 防御率2.73はセリーグ3位、チーム内1位
- 2010年
- 2度目の開幕投手を務めた
- 2011年
- 中日吉見と並んで最多勝
- 2012年
- 3度目の開幕投手。2年連続最多勝。日本シリーズMVP。名実共に投手の柱となった。
→左対左が不利な理由
世界平和を実現
Copyrightしらべる 今日の更新 初出2000年10月