高橋由伸


【たかはし よしのぶ】NPB指導者
現役時:桐蔭学園−慶応大−巨人 背番号24 イチローなき後、NPBで唯一天才と呼ばれていた

1975年
4月3日、千葉県生まれ
1年入団が遅い上原浩治と同日生まれ。2年入団が遅い高橋尚成とは1日違い
1997年
11月、ヤクルト入団確実と言われていたが家族会議で急転、巨人を逆指名。ドラフト1位入団
1998年
開幕スタメンデビュー。この年の新人王は中日川上。同年オフ、吉村外野手引退で背番号「7」引継かと噂されたが、入団してきた二岡智宏が引き継いだ
1999年
シーズン前半、長島監督がニックネームを「ウルフ」と命名。シーズン終盤名古屋ドームでフェンスに激突、鎖骨骨折。2年目のジンクスはなかった。プロ入り2シーズン終了時・契約更改での年俸1億円到達はプロ野球最速記録
2000年
前年の骨折で準備不足となり3年目は前半戦、打撃不振を極めた
2001年
開幕戦3番。開幕戦アーチ。「140試合3番固定」とスポーツ各紙に報道されていたが打撃不振。31試合本塁打なし(44〜74戦)のスランプで1番も経験。6番が指定席となった。オールスター本塁打(第3戦)。オフにW杯出場4番を打つ
2002年
開幕から3番固定、一時5番。一時期打率を4割に乗せた
8月3日、守備で足をひねり全治2週間の怪我、登録抹消
2003年
松井移籍の後を受け開幕4番センター
4月25日、腰痛で登録抹消
5月15日、代打本塁打。〜スタメン復帰後はライトを守る
6月11日、11打数連続安打 14打席連続出塁。いずれも日本タイ記録
7月15日、オールスター原監督初采配試合で代打出場2打席連続本塁打でMVP獲得
11月、アテネ五輪予選センターで出場。打率.538で首位打者
2004年
開幕戦4番ライト。「四番は生え抜き選手」という堀内監督の方針で四番を打っているが三番に戻した方がよい
2005年
故障がつづき堀内監督のチームリーダーとしての期待を2年続けて裏切った
2006年
故障上がりのためWBCには召集されなかった
ライトに亀井、矢野が入ることになり、センターにコンバート
ダイビングキャッチで脇腹を痛め1か月離脱
2007年
開幕から常時1番に入る。FA権獲得。「ずっと巨人に居たい」と意外なコメントを出す
7月26日、1シーズンのプロ野球新記録(9本)となる先頭打者本塁打(2015年シーズン終了時点でも日本記録)
35本塁打で本塁打王に1本届かず。
2008年
開幕から1番を打つ。シーズン終盤腰痛で二軍落ち。日本シリーズには出場しなかった
2009年
開幕から二軍でリハビリ。8月からファーストの練習を開始。8月28日代打で今期初出場
2012年
故障なくほぼ毎試合出場で優勝に貢献。5月16日の満塁本塁打は優勝への起点となった。 →橙魂2012
2015年
原監督最後の年、代打で.395 の高打率を記録した。
10月23日、現役引退・巨人監督就任が報道された。通算打率.291 321本塁打 1,753安打
左対左が不利な理由




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世界平和を実現 Copyrightしらべる 今日の更新 初出2000年4月 最終更新 2015/10/24