しらべるデコ

中田英寿


【 なかた ひでとし 】 元プロサッカー選手 MF 右利き
韮崎高−ベルマーレ平塚−ペルージャ−ASローマ−パルマ−ボローニャ−フィオレンティーナ−ボルトン

【 略歴 】

1977年(デコと同じ年)
1月22日、山梨県甲府市生まれ 9歳からフットボールを始める。
1995年
11球団が競合「もっとも上下のしがらみがなくプレーできる環境」という理由でベルマーレ平塚入団 契約金1,000万円。
1996年
アトランタ五輪出場。
1997年
20歳で日本代表入り。W杯予選でカズに替わって日本のエースとして認知される。
1998年
1月4日「書かないで」と前置きして語った「君が代」の感想を、朝日新聞が紙面に掲載。大問題になる。これを機会に中田のマスコミ不信が始まった。
6月、フランスW杯出場
7月、イタリアセリエAのペルージャに移籍。移籍金5.2億円 ユニフォームナンバー7
1998-99
セリエA ペルージャ1年めシーズン

1999-00
古巣湘南ベルマーレ(J2)を個人スポンサード。
1月13日、冬の移籍市場 セリエAのASローマに移籍。移籍金18億円  ユニフォームナンバー7
3月25日「nakata.net98-99」新潮社 出版〜自らのホームページ nakata.net でのファンへのメッセージを掲載した本。
2000-01
9月、シドニー五輪サッカー準々決勝米国戦でPKを外す。
10月、五輪前から軸足を痛めていると言われシーズン開幕からカップ戦要員に回る。この時期2002年の日本W杯までヴェルディへレンタル移籍と報知新聞が伝えた。
1月、2年連続で湘南ベルマーレをスポンサード。
5月3日、イタリアサッカー協会特別裁定委員会がEU域外出場枠(ベンチ入り3人)を撤廃、だがその後も常時出場とはいかず。
6月4日、コンフェデ杯準決勝、雨中FKを決める。試合前 nakata.net で書いていた通り決勝日はスクデットのかかるローマに戻ったが、出番はなくチームも優勝を決められなかった。
2001-02
7月5日、セリエAのパルマに移籍。移籍金33億円 ユニフォームナンバー10
1月、湘南ベルマーレをスポンサードの撤退を発表。
6月、W杯出場1得点。一次リーグチュニジア戦で初得点。
2003-04
7月、東ハトCBOに就任。
12月、ボローニャへレンタル移籍。
2月18日、W杯予選オマーン戦出場。
3月31日、W杯予選シンガポール戦出場。
5月〜両足付け根の故障でセリエA、日本代表戦をすべて欠場。
2004-05
7月、パルマ事実上の破産により、フィオレンティナへ移籍。移籍金2億円。
9月、セリエA開幕第2戦から復帰。
11月、国際エイズデーチャリティマッチに世界選抜の一員として先発出場。1得点を挙げる。
2月、FIFAオールスタースマトラ沖地震チャリティマッチに世界選抜MF右サイド(左はデコ)で先発出場。一流プレーヤーと組めば創造的なサッカーができることをアピールした。
3月〜6月、2006年W杯予選出場、練習からプレスの効いたチーム作りに貢献し本戦出場権を得た。
2005-06
8月、プレミアリーグボルトンへ1年のレンタル移籍。ユニフォームナンバー16
12月、引退を決意
6月、W杯3度めの出場。ブラジル戦終了後ピッチに横たわって涙した。
このシーズンで現役引退。
2007年
12月、CWC2007で、FIFAの広報活動を行った。
2010年
W杯2010で中継テレビ番組に現地からゲスト出演した。

Jリーグ在籍時は中田がサッカーを勉強していないレベルの低い記者とは話をしなかったため「性格が悪い」「生意気」という印象がメディアにより作られていた。
ペルージャでイタリア人に高い評価を得た途端、手のひらを返したようにメディアは好意的になり、以後、現在までその姿勢が続いている。





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